後日談5・クロトーネの人々2006年09月23日 17:53


実況中継版でも書いたとおり、クロトーネは今回の旅で一番のお気に入りの街となった。
タイムスリップしたかのような街の古さ、人の古さ。そこには、私が"南"に求めているもの全てあった気がした。

あらためて思い返してみると、その空気感は10年前のレッチェ(プーリア州)に少し似ていた。
あの頃のレッチェには、バロックの建物がひしめき合う街に、何とも古色蒼然たる人々が暮らしていた。
私が泊まった3つ星ホテルでは、高級ホテルでもないのに、制服を着て帽子までかぶった老人がボーイをやっていた。荷物を部屋まで運んでくれたので、ポケットからチップを取り出そうとすると、ニコニコと手を振りながら部屋を出て行ってしまった。
1階の薄くらい通路には、古めかしい椅子が並べられ、立派なドレスを着て大粒の真珠のネックレスをした女性や、蝶ネクタイをした紳士風の人たちが、何をするでもなくただ座っていた。レストランを覗いてみると、そんな古色蒼然たる人たちがうようよしている。とてもセーター姿の私が入れる雰囲気じゃなかった(この不思議なホテルは、数年前にレッチェを訪ねたときには姿を消していた)。

さすがにクロトーネでそれほどの御仁たちを見ることはできなかったものの、ホテル・コンコルディア(ギッシングが泊まった宿)の親父や、フロントにときどき姿を現して自動販売機の操作方法を教えてくれる正体不明のおばさん、カーテンの向こうのテーブルで食事をしている明らかに客ではないが従業員でもなさそうな人たちの雰囲気は60年代、70年代の人たちだった(ちなみに宿泊客は70~80年代のバックパッカー)。

チーズなしの不思議なピザを食べさせてくれたレストランの親父は、とびきり古い雰囲気をもった人物だった。
この親父、「水? ガス入り? ガスなし?」といった必要最小限度の質問を客にぶつけ、客が答えると、くるりと向きを変えてその「水」をとりに行く。こちらが「それから・・・」と言いかけたころには、3m先を歩いているような人だった。
一つの結論が出ると(例えば、前菜は何と決まったとすると)、あっという間にいなくなっている。万事この調子だから、まとめて注文することは不可能。しかし彼は、決して走らず、下半身だけ競歩のような歩き方ですばやく移動している。彼の息子も全く同じ歩き方で、顔もそっくりというのがおかしかった。親子どもども、ぶっきらぼうなようでいて、人をいやな気分にさせないキビキビした感じがすごくよかった。
その顔の方は、ダイアンレイン主演の「トスカーナの休日」という映画に出てくる不動産屋にそっくり。店に古い映画のポスターが貼られているせいもあるが、ずっと映画を観ているよな気分だった。個性が強くて自分のペースで生きているけれど、それでいて他人には自分の主張を押しつけず、きちんと気を配ってる雰囲気というか(まあ客商売だから当たり前なんだけど)、ああこういうタイプの人も昔は大勢いたんだろうなと思わせる、なかなか粋な親父だった。

考古学博物館に行くと、ひとときもタバコを手放せない若い女性が受付をやっていて(今となってはこれも珍しい)、その周囲には親父が3人くらい集っていた。
博物館を一巡りして受付に戻ってみると、そこに一人の画家が現れ、最新作の油絵を囲んで皆で鑑賞会らしきものが始まった。
私も感想を求められたけれど、現代アートにつき理解不能。画家の傑作とされる作品をいくつか写真で見せてもらったが、理解できたのは、震えるような線で描かれた「大酒」という漢字だけだった。念のためもう一度言っておくけれど、そこは考古学博物館。美術館でもなければ画廊でもない。なぜ現代アートがそこに持ち込まれ、作品の写真が受付に常備されているのかは不明。
そのわけのわからない、南国的な弛んだ感じが良かった。この弛んだ雰囲気に感染してか、私は博物館の中に帽子を置き忘れてしまった(あとで回収)。

道端では、衝突した自動車の双方のドライバーが、のんびりと話しあってる。散乱したプラスチックの部品を拾ったり、保険関係と思しき書類をめくりながら。衝突するまではしゃかりきになって走っているのに、衝突してしまうと、とたんに緩くなる。不思議だ。まあ、彼らにとっての事故は"日常"なのだろう。
旧市街の小さな食料品店には"冷えた"瓶ビールが置いてあって、栓抜きがぶら下がっていた。缶ビールじゃないところがいい。普段なら、まとめ買いしてホテルで飲むのだが、その場で栓を抜いてもらった。クロトーネでは瓶ビールのラッパ飲みの方が似合う気がした。

そしてその"冷えた"ビールの微妙な温度、つまりはちょっとぬるい感じがまた古きよきイタリアであった。