心やさしき人よ - グイッチャルディーニ風に2011年06月02日 23:00

このところのメディアには、今度の大災害の被災者の方々を気遣う言葉に溢れている。
誰よりも自分が一番優しく、弱い立場に置かれた人々の味方は自分なのだと言いたげに、被災者へ向けて「ほんとうに」という言葉を連発する。
「ほんとうに」は心配していないのではないか、という疑いを向けられることを、まるで、強烈に恐れているかのようである。

そして、そんな気遣いをする人々は決まって、政治家が悪い、役人が悪い、東電が悪いと金切り声を上げる。被災者の「ほんとうの」気持ちを代弁して差し上げようという、善意に満ちあふれている・・・かのようだ。

ただ、私はいつも、こう思っている。

ほんとうに心やさしき人は、世界の真の平和を願う人は、ほんとうに弱い立場の人たちのことを理解できる人というのは、被災者の苦しみを理解すると同時に、菅総理や東電の社長や霞ヶ関の役人たちの心が、実はズタズタにされていることが想像できて、心の底から、世間から糾弾されている人々のことを理解できる人のことを指すのだと。

権力への執着が悪い? 既得権益への執着が悪い?
私は、そんな執着とは無縁と思われている連中にこそ、警戒せよと言いたい。

世の中に深刻な害悪をもたらす本物の悪というのは、たやすくは悪とみなされることがなく、むしろ善とみなされている連中によってもたらされる。歴史は教えてくれる。わかりやすい悪は、少なくとも最悪であった試しはないのだということを。

フィレンツエのサヴォナローラのことを、同時代の民衆は自らの味方と信じ、最善の指導者と考えていたけれど、後世の評価はどうなんだろうか(私は個人的にはサヴォナローラもマキャベッリもグイッチャルディーニもみんな好きだけれど)。

メディアには、「あれもこれもそれもどれも、正しくなければ絶対に許さない!」と強烈に主張する原理主義者の言説が溢れ、そして、原理主義者的な政治家に支持が集まったりしている。
とくに、本物の国家的な責任を負わない地方政治の世界で、「市民的」な支持を得ることによって、原理主義者の政治家たちの勢いが増している。

けれど、こんな危機の時代には、その正しさは実現できそうもない、と冷徹に言ってのける役人的な現実主義を評価できる大人の評論ができなければ、さらなる危機を招き、破滅的なことが起きてしまう。

心やさしき人たちよ!
菅さんや東電社長の「言い訳」の中に、真実と真心が宿っていることに想いをめぐらせてくれないだろうか。

コメント

_ 駄菓子 ― 2011年06月03日 16:58

まさに思っていることを言ってくださって感謝します。
じつは、近々ブログである本を取り上げて、「善人」の困ったちゃんぶりにも触れようと思っていたところでした。
(サヴォナローラとマキャベッリとグイッチャルディーニの違いについては、たいした知識がなくて、なんとも言えないんですが……とほほ)

私の周辺にも、地震、原発以後、急に「善人」の心に目覚めたのか、恐ろしいほどに心がとげとげしくなってしまった人がいます。
そういう人にとっては、私のように「あっちの人の言うこともわかる」「こっちの人にも一理ある」なんてやつは、軟弱なダメ人間のようですね。

_ ike ― 2011年06月04日 13:34

駄菓子さん、こんにちは。
コメントありがとうございました。しかも好意的なものだったので、ほっとしてます。

この種のことをブログに書くときは、正直言って、いつも冷や汗をかいてます。
被害者の気持ちがわからないのか、という反応を畏れ、書いてもアップするのをやめることが多かったんですが、6月に入って、このまま沈黙を続けるのも卑怯かな、と思える出来事が増えました。

私も「軟弱なダメ人間」扱いされる方ですが、多少は抵抗してやろうかと思います。駄菓子さんの記事も楽しみにしております。

_ 三個夏天 ― 2011年06月05日 17:13

ずーっと昔の裁判の記事もすごく深いなぁと思ったので、今回の記事もさすがだなと思いました。自分なんて軟弱どころか、確固たる意見もないので、右往左往する毎日です。だから善人を装いたいんだと思います。ただ、どういう意見にしてもキリッと言える人は、それだけで尊敬してしまいます。これがダメダメな人間から唯一言えることでしょうか。情けないけど。

_ ike ― 2011年06月06日 22:56

三個夏天さん、お久しぶりです。
コメントありがとうございました。

基本的に裁判がらみの話はブログには書かないというスタンスだったんですが、本気で怖いと思うことが多くなって、書いてしまうようになりました。

最近はなんだか毎日のように怖い話が聞こえてきますが(放射能関係は全然平気なんですが)、杞憂で終わってくれることを祈っています。

_ 三個夏天 ― 2011年06月13日 15:08

お返事ありがとうございました。自分も震災関連とは別のところで怖い世の中(怖い話が小さな扱いになっているところとか)になってきたとひしひしと感じているのですが、何をしたらいいのか正直わけわからなくなっています。棚上げにしていたからこそいいところがあったと思ったり、それではいかんのかなと思ったりで。
ご迷惑でなければ「役人的な現実主義を評価できる大人の評論」というのをもう少しかみ砕いて頂けると幸いなのですが。

_ ike ― 2011年06月14日 11:17

例えば私たちが「こうすればいいのに」と思うことに対して、役人は「できません」と答え、私たちはまず、その理由について「仕事をしたくないから」「前例がないという馬鹿げた理由にこだわっている」と考えます。そして、「できるはずだ」と主張する評論を評価し、役人を痛めつける政治家を支持します。

そうではなしに、きちんとした理由があるのかも知れないという好奇心をもって役人の言葉に耳を傾け、理性をもってその言葉を理解しようということです。
現実的に本当に「できないこと」について、やれと言ったところで、何も進まないわけで、空虚な評論に振り回されたり、空虚な政策を掲げる政治家に権力を与えてしまわないよう気を付けましょうと言いたいわけです。

_ 三個夏天 ― 2011年06月14日 15:11

お忙しい中、お返事ありがとうございます。ぼんやりと感じていたことをまさに的確な言葉で表現下さり、感謝しております。

いずれの立場から発信された言葉にしろ、ヒステリックに一方を断罪するのは非常に危ういと感じている今日この頃です。それが大きなうねりになって正誤の判断もつかぬまま、飲み込まれないよう注意しようと心がけてはいますが、他方で自分にとっては恐ろしい権力化が着々と進み……。気がついたら手遅れ、みたいなことにならないようにしたいのです。が、日々の判断の根拠となるよすが(知識と地頭)が、自己を省みると圧倒的に不足していることを痛感させられ、非常にトホホな状態に陥っているのが正直なことろでもあります。

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