〔後〕フェデリーコが観た風景?2013年02月23日 00:17

(2012年12月25日)

1228年、フェデリーコ2世が率いた第6回十字軍の最初の行程は以下のとおり。

6月28日 ブリンディジ(南イタリア)の港から十字軍出発。
9月3日 ファマゴスタ(キプロス島)にて乗船。
9月7日 アッコン(Akko)到着。

フェデリーコは船でアッコンに入り、ここで11月までの間滞在したようだ。その間、彼はエジプトのファティマ朝のスルタン、アル・カーミルとの交渉を行っていた。
このとき、フェデリーコがヨーロッパから連れてきたのは、身辺警護のための最低限の兵士のみで、軍事力は現地のキリスト教系の騎士団頼み。その騎士団が本拠地としていたのがアッコンだった。
当時の騎士団が築いた街というか要塞は、現在、「十字軍の街」という観光スポットになっている。
当然、フェデリーコもその「十字軍の街」に滞在していたに違いなく、かくして私は、この街Akkoへとやってきたわけである。

フェデリーコは、イタリアへ帰る際にも、アッコンの港から船で出発している。
そうなると、(自称)フェデリチャーノ・ニッポン代表である私としては、ここで船に乗らずして帰るわけには行かない。
幸い、冬場でも観光船が運航されていた。しかも業者さんもいろいろ。
私は、一番地味な感じの船でありながら、サングラスをかけ、派手な衣装を身にまとった黒人が客引きをやっている船を選んだ(なぜだか不思議と、彼らが真剣に商売をやってる気がした)。
どの観光船もアラブ風の陽気な音楽を鳴らしていたけれど、乗客は私を含めて外国人3名ほどだったし、その客引きに頼んで、音楽は止めてもらった。

さて、海から現在のアッコンを眺めてみると、緑色のモスクのドームやミナレットが目立つ。あらためて、この街がアラブ人の街であり、イスラームの街であることがわかる。
ちなみに、左手に時計塔が見えるが、これはキリスト教会のものではなく、純粋な時計塔である。

フェデリーコが観た風景、つまりは騎士団が支配していた当時の風景とは明らかに違っているわけだが、これはこれで、フェデリーコ的な風景ともいえる。
Akko旧市街は、ユダヤ国家といわれるイスラエルの中にありながら、アラブ人の街、イスラームの街であり続けている。
今回の旅行で私が訪れたイスラーム関係の有名観光地は「ムスリム以外は中に入れません」という所ばかりで、外から眺めることしかできなかった。しかし、ここアッコンの有名モスク、アル・ジャッザール・モスクは開放的だ。入場料さえ払えば、異教徒でも中に入れる。

ふと思ったのは、フェデリーコが暮らしていた当時のパレルモ(シチリア島)は、(時代はかなり違っているけれど)こんな空気感があったのではないか、ということ。
かつて十字軍とジハードの最前線であったこの街だが、他民族と多宗教とが入り乱れつつ調和する地中海世界の伝統、つまりはフェデリーコが愛した地中海魂を、静かに受け継いでいる気がした。

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プーリア

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