久しぶりにシチリアへ2016年08月18日 01:39

facebookに進出してからというもの、このブログも更新がおろそかになってしまった。
メインの南イタリア(カテゴリ"puglia")ネタも、そもそも現地に行けない状況が続いてどうにもならず。
それでも根性出して、この夏、シチリアに行くことにした。ここで現地情報を発信しようとすると難儀なので、リアルタイム版はfacebook↓に、後日談はコチラに書こうと思う。

https://www.facebook.com/hidetoshi.ikeda.121

すでにシチリアのフェデリーコⅡ関連の主な史跡は巡ったつもりだったのだけれど、あらためて調べてみると、わんさかと行きたい場所が出て来た。インターネットの途方もない力を感じないではいられない。
確かに、フェデリーコⅡの本拠地であったシチリアに、彼の関与した場所は数え切れないはず。それが、ネット情報の爆発的な拡大で、細かな情報までもが、遠く離れた異国に住む私の手元にも届くようになったというわけだ。
先が思いやられる展開なのだが、まあ行ってみましょ。

たぶんブラインドは一年中閉め切ったまま2015年06月17日 23:22

企業や官庁での個人情報流出について、データ管理やウィルス対策がずさんで許せないと主張しているメディア企業とか、データ流出被害を受けた企業を相手に訴訟を起こしている弁護士事務所とかでは、私は絶対に働きたくない。
だって、そうでしょう。そんなメディアや弁護士たちが、「万全の対策が必要だ」と言うからには、自ら必ず実行していると思われる対策なんて、想像しただけでイヤになりますもの。

携帯電話、個人用PC、デジカメの職場への持ち込みは禁止。
MicroSDメモリーとかにコピーしてデータを外部に持ち出したりしてないか調べるため、念入りな身体検査が毎日ある。
個人情報を含むすべてのファイルにはパスワードがかけられており、頻繁に変更されるから覚えるのが大変。
メールのやり取りに使うPCと、インターネット接続のない事務作業用PCとが完全に別々になっているので、仕事がはかどらない。
ネット接続のあるPCと作業用PCとの間で個人情報ファイルを移動して作業するときは、上司の許可とチェックを受けなければならず、作業後も適切にファイル消去がされたかの上司チェックがある(今日は上司が出張なんだけど、どうしましょ)。
うっかり個人情報をメールで誰かに送信したりしないように、メール送信には他の社員が必ず立ち会ってダブルチェックすることになっている。
居酒屋で顧客の名前をうっかり口にしてしまったら、始末書を書かなければならない・・・とか、いろんな規則があってわけがわからない。

メールを受信したら、まず題名や送信者名を確認し、マルメールかどうかを判断しなければならない。
例えば覚えのない送信者からのメールを発見したら、もう大変。怪しいので即LANケーブルを引っこ抜き、ネット切断! すべての支局、支店、営業所、出張所とかに有線電話で連絡し(当然ですが、メールやIP電話では連絡できません。)、速やかなるネット切断を要請! 
専門業者を有線電話で呼んで(・・・あ、課長! 携帯は止めて有線電話で呼んでください。ここで携帯を使ったりすると、後で大問題になりますよ!)、ウィルスチェック開始! はい、今日〆切の仕事は全部、間に合いません!

何よりも、ウィルス感染メールの疑いありと報告したものの、実は何でもなかったとわかったときの同僚から受ける冷たい視線が一番きつそう。

吉祥寺でバスク料理!!2014年10月13日 20:45

この連休中、東京出張のついでに、青春の味が懐かしくなり、「いせや」で焼き鳥を食べようと吉祥寺に出かけた。ところが、連休だったせいか「いせや」の公園店も本店も長蛇の列。すごい人気である。昔は簡単に入れたはずなのに・・・。

仕方なく、焼き鳥はやめにし、適当な飲食店を探しながら歩いていたら、バスク料理の「タラのサルサベルデ」(写真右)がメニューに載っている店を発見!
躊躇することなく入店してみると、なんとチャコリがドリンクメニューに載っていた。
チャコリというのは、バスク地方独特の微発泡白ワイン。うますぎて、ひたすら飲み続けることができ、ある意味、世界一危険な飲み物とも言える。

しかもこの店、浅めの角張った感じのグラスが登場し(チャコリといったらこの器でしょ!)、目の前で、高いところからこのグラスに注がれるという本格的バスク方式であった!

バスクのサンセバスチャン(スペイン)と、バイヨンヌ(フランス)に旅行したのは20年以上も前のこと。すっかり忘れていたが、チャコリとバスク料理は本当にすばらしかった。

この吉祥寺の店も、タラのサルサベルデがとてもおいしかった。
カウンターだけの小さな店ながら、バスクで修行したというシェフの腕とセンスの良さは確か。
唯一の難点は、5組のカップルに50代のおっさん1人という完全なアウェー状態であったこと。とはいえ、みな30歳以上と思われる方々であるため、まあ何とか耐えられるレベル。

久しぶりにいい店をみつけた。

新誌名創刊! 『月刊住職』2013年12月14日 19:20

昨日の朝日新聞1面、出版物の広告欄で、『月刊住職』という見慣れない雑誌名が目にとまった。新誌名創刊だそうな。

・ スーパー最大手が「永大供養」を売り出した大問題
・ 国有地にされた境内地奪還裁判で寺院が勝訴
・ 初の各宗派調査 教化費の使徒と費用対効果
・ 月命日に壇信徒を訪ねる住職たちに学ぶ功徳

といった内容。寺院に関連する生々しい情報に溢れている。そう、私が愛するあの某業界スーパー月刊誌『寺門興隆』↓と瓜二つなのであった。
http://ike.asablo.jp/blog/2009/04/08/4232536

私のようなファンが増殖した結果、ついにライバル誌が創刊されたのだろうか。一瞬そう思ってしまったが、よくみると「『寺門興隆』改名」とある。出版元も興山舎で同じだった。

Wikipediaには、その事情が書かれている。
もともと1974年に金花舎が『月刊住職』を創刊したが、金花舎の倒産に伴って、興山舎が後継誌である『寺門興隆』を1998年に発刊するようになったらしい。そして、今年の12月から、興山舎が誌名をもとの『月刊住職』に戻したというわけである。
個人的には、『寺門興隆』の方が好きだったのだけれど、40年もの歴史を刻んだ雑誌なのだとしたら、創刊当初の誌名に戻すのも納得できる。

ちなみに、興山舎のHPによると、『最新 寺院の法律実務大辞典』が近刊予定だそうである。これは大歓迎で、発刊されたら購入するつもりだ。

〔後〕"SASHIMI"という名の料理2013年04月12日 23:08

(2012年12月26日)

この日の夕食は、まずはイタリアン・レストランでワインを一杯ほど。その店では、とりあえず、つまみ程度の前菜だけにして、その後、ホテル近くのラテン風のバーに移動した。
テルアビブの夜は賑やか。早朝まで開いているバーも数多く、酒飲みにはたまらない都市の一つと言えるのではないかと思う。

まずは"Estrella1906"というスペインのビールを頼む。"Estrella"は私が乗ってるカワサキ製バイクと同じ名前である。前々から飲んでみたいと思っていた銘柄のビールだった。
この店は、テルアビブで流行中のいわゆるスシ・バーとは違うのだが、メニューにはその流行りを取り入れたと思われる興味深い料理がいくつかあった。

というわけで、そんなスペシャル和食メニューの中から、まずは生牡蠣のわさびソース風を食してみた。う~む、わさびはいいとして、そのウズラの卵の卵黄は余計では? という料理だった。
お次は、"SASHIMI"と題された料理である(写真)。
生のマグロにはごま油が塗られ、塩が振ってあった。スライスされたタマネギとの相性は微妙であったが、まあそれなりに楽しめる料理だった。

この種のバーはホテル近くに何軒もあって、どの店も大盛況だった。
ご飲食代の方は結構高め。お酒も、少量しか載ってない料理も、1杯・1皿で1000円前後。お腹いっぱいに食べたり、気持ちよく酔うまで飲むとすると結構な散財になってしまう。そう気安く行けるような店ではないはずなのだが、それでも開店直後を狙わないと、すぐに満席になってしまって、予約なしでは席が確保できないような状態だった。

テルアビブの若者たちは、それほど稼いでいるのか? 年末だけのどんちゃん騒ぎなのか?
一方で、この地点からほんの数十キロしか離れていない場所に貧困があり、そこからロケット弾が飛んで来る・・・酩酊気味の頭の中をいろんな情報が行き交い、混乱する。
そういう意味でも、イスラエルは刺激的な国だった。

〔後〕テルアビブの白いホテルにて2013年03月12日 00:48

(2012年12月26日)

この日はフェデリーコ2世の誕生日。アッコンを出発してテルアビブに入った。
宿泊したのは、写真の小さなホテルで、外観からしてそのデザインは秀逸。テルアビブの白い建築群は、世界遺産に登録されているのだが、この建築物もその一翼を担っているというところではないかと思う。

私は最上階のシングルルームに泊まらせてもらったのだが、内装もなかなかスタイリッシュだった。細部にわたってデザイン化された建築物で、例えば、エレベーターを待っている間にくるりと体を廻してみただけで、楽しい絵画、ユニークな案内板、斬新なデザインの家具の数々が目に入ってくる。
ベランダにはラベンダーその他のハーブが植えられた大きな鉢がある。部屋にはエスプレッソマシーンがあって、そいつで淹れたエスプレッソを、そのベランダのテーブルで飲んじゃったりできる・・・そんなことも知らずに私は予約してしまったが、ニッポンのおっさん一人で泊まるような場所ではなく、滞在中はやや肩身の狭い思いだった。
ホテルのスタッフは、若い美女ばかり。2泊3日の間、私が出会ったフロントのスタッフは、交代制らしくて合計4人もいた。その全員が、驚くほどに美女ばかりなのである。そこまで「美」を追求しなくてもいいでしょ、と言いたくなるほどだった。

街へ出てみると、その世界遺産クラスの建築デザインもさることながら、商店街で目にする洋服、アクセサリー、食器類、雑貨類がどれも秀逸だった。
まあ、私が田舎に住んでいるせいもあるのだが、街全体が「美」に対する強烈なまでのこだわりをもっている気がした。

ホテルの隣のビルには、日本の工芸品を扱う店もあった。
この店、東京でも京都でも滅多にお目にかかれないほどの審美眼をもった店だった。
どれもこれも買いたくなるような器、布、紙、そして日本酒!
ディスプレイとして、おみくじを結びつけた木の枝が飾ってあった。神社で見慣れた風景が、雑貨店のディスプレイになっているというわけである。これをみて、無数のおみくじが結びつけられた枝が、ああ美しいものなのだと、初めて思った。

〔後〕ファイヤー!2013年03月04日 00:33

(2012年12月25日)

アッコンのスークに行ってみると、魚屋が何軒かあった。近海で捕れたと思われる魚介の数々が並べられていて、種類も豊富だし、鮮度もいい感じだった。スークを散策しながら、この日の晩ごはんは、是非とも魚料理を食べておきたいと思った。狙いは、鮮度のよい魚を素材にしたシンプルな焼きものである。

それで、夕刻、ホテルを出て地元の方々で賑わっている店を選び、まずはメニューに書いてあった「本日の魚料理」とは何かを尋ねてみた。すると、「スモークド・サーモン」だというお答え。
昼間、スークではサーモンは見かけなかった。旨そうに見えたあの地物の魚たちはどうなってるんだろうか。私は、店の選択を間違えてしまったのか!

いやいや、Akko最後の晩である。ここで引き下がるわけには行かない。私はサーモンは嫌いだから、別の"grilled sea fish"が食べたいのだと訴え、メニューに書いてない魚料理はないのかと繰り返し尋ねたみた。しかし、私も店のウェイターも、英語は一応理解できるが、決して堪能ではなく、どちらかというと苦手というレベルである。とんちんかんな英会話が繰り広げられる事態となってしまった。

そこで私は、最後の手段に訴えるつもりで、こんなことを言ってみた。
「フィッシュ! ファイヤー!」
ちなみに、そのときの私の両手は、まるで岡本太郎であった(要するにそんな感じ。わからない人はあきらめてください)。

ま、下手くそ同士の英会話なんて、そんなものである。この私の台詞を聞いたウェイターは、ようやく意味がわかったという顔をして、厨房にオーダーを伝えに行ってくれた。

かくして、私のテーブルに届けられたのがコレである。
確かにそれはフィッシュであり、ファイヤーが関係した料理で、とてもおいしい焼き魚料理だった。
そして、ちゃんと「開き」になっていたのが驚きであった。

〔後〕フェデリーコが観た風景?2013年02月23日 00:17

(2012年12月25日)

1228年、フェデリーコ2世が率いた第6回十字軍の最初の行程は以下のとおり。

6月28日 ブリンディジ(南イタリア)の港から十字軍出発。
9月3日 ファマゴスタ(キプロス島)にて乗船。
9月7日 アッコン(Akko)到着。

フェデリーコは船でアッコンに入り、ここで11月までの間滞在したようだ。その間、彼はエジプトのファティマ朝のスルタン、アル・カーミルとの交渉を行っていた。
このとき、フェデリーコがヨーロッパから連れてきたのは、身辺警護のための最低限の兵士のみで、軍事力は現地のキリスト教系の騎士団頼み。その騎士団が本拠地としていたのがアッコンだった。
当時の騎士団が築いた街というか要塞は、現在、「十字軍の街」という観光スポットになっている。
当然、フェデリーコもその「十字軍の街」に滞在していたに違いなく、かくして私は、この街Akkoへとやってきたわけである。

フェデリーコは、イタリアへ帰る際にも、アッコンの港から船で出発している。
そうなると、(自称)フェデリチャーノ・ニッポン代表である私としては、ここで船に乗らずして帰るわけには行かない。
幸い、冬場でも観光船が運航されていた。しかも業者さんもいろいろ。
私は、一番地味な感じの船でありながら、サングラスをかけ、派手な衣装を身にまとった黒人が客引きをやっている船を選んだ(なぜだか不思議と、彼らが真剣に商売をやってる気がした)。
どの観光船もアラブ風の陽気な音楽を鳴らしていたけれど、乗客は私を含めて外国人3名ほどだったし、その客引きに頼んで、音楽は止めてもらった。

さて、海から現在のアッコンを眺めてみると、緑色のモスクのドームやミナレットが目立つ。あらためて、この街がアラブ人の街であり、イスラームの街であることがわかる。
ちなみに、左手に時計塔が見えるが、これはキリスト教会のものではなく、純粋な時計塔である。

フェデリーコが観た風景、つまりは騎士団が支配していた当時の風景とは明らかに違っているわけだが、これはこれで、フェデリーコ的な風景ともいえる。
Akko旧市街は、ユダヤ国家といわれるイスラエルの中にありながら、アラブ人の街、イスラームの街であり続けている。
今回の旅行で私が訪れたイスラーム関係の有名観光地は「ムスリム以外は中に入れません」という所ばかりで、外から眺めることしかできなかった。しかし、ここアッコンの有名モスク、アル・ジャッザール・モスクは開放的だ。入場料さえ払えば、異教徒でも中に入れる。

ふと思ったのは、フェデリーコが暮らしていた当時のパレルモ(シチリア島)は、(時代はかなり違っているけれど)こんな空気感があったのではないか、ということ。
かつて十字軍とジハードの最前線であったこの街だが、他民族と多宗教とが入り乱れつつ調和する地中海世界の伝統、つまりはフェデリーコが愛した地中海魂を、静かに受け継いでいる気がした。