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    <title>ike blog</title>
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    <language>ja</language>
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    <pubDate>Thu, 18 Aug 2016 01:52:07 +0900</pubDate>
    <item>
      <title>久しぶりにシチリアへ</title>
      <link>http://ike.asablo.jp/blog/2016/08/18/8154162</link>
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      <pubDate>Thu, 18 Aug 2016 01:39:50 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2016-08-18T01:52:07+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2016-08-18T01:52:07+09:00</dcterms:created>
      <description>facebookに進出してからというもの、このブログも更新がおろそかになってしまった。&#13;&lt;br&gt;
メインの南イタリア（カテゴリ&amp;quot;puglia&amp;quot;）ネタも、そもそも現地に行けない状況が続いてどうにもならず。&#13;&lt;br&gt;
それでも根性出して、この夏、シチリアに行くことにした。ここで現地情報を発信しようとすると難儀なので、リアルタイム版はfacebook↓に、後日談はコチラに書こうと思う。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
&lt;a href="https://www.facebook.com/hidetoshi.ikeda.121"&gt;https://www.facebook.com/hidetoshi.ikeda.121&lt;/a&gt;&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
すでにシチリアのフェデリーコⅡ関連の主な史跡は巡ったつもりだったのだけれど、あらためて調べてみると、わんさかと行きたい場所が出て来た。インターネットの途方もない力を感じないではいられない。&#13;&lt;br&gt;
確かに、フェデリーコⅡの本拠地であったシチリアに、彼の関与した場所は数え切れないはず。それが、ネット情報の爆発的な拡大で、細かな情報までもが、遠く離れた異国に住む私の手元にも届くようになったというわけだ。&#13;&lt;br&gt;
先が思いやられる展開なのだが、まあ行ってみましょ。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>ブログっぽいこと</dc:subject>
      <dc:subject>puglia</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>たぶんブラインドは一年中閉め切ったまま</title>
      <link>http://ike.asablo.jp/blog/2015/06/17/7671152</link>
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      <pubDate>Wed, 17 Jun 2015 23:22:33 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2015-06-17T23:38:13+09:00</dcterms:modified>
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      <description>企業や官庁での個人情報流出について、データ管理やウィルス対策がずさんで許せないと主張しているメディア企業とか、データ流出被害を受けた企業を相手に訴訟を起こしている弁護士事務所とかでは、私は絶対に働きたくない。&#13;&lt;br&gt;
だって、そうでしょう。そんなメディアや弁護士たちが、「万全の対策が必要だ」と言うからには、自ら必ず実行していると思われる対策なんて、想像しただけでイヤになりますもの。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
携帯電話、個人用PC、デジカメの職場への持ち込みは禁止。&#13;&lt;br&gt;
MicroSDメモリーとかにコピーしてデータを外部に持ち出したりしてないか調べるため、念入りな身体検査が毎日ある。&#13;&lt;br&gt;
個人情報を含むすべてのファイルにはパスワードがかけられており、頻繁に変更されるから覚えるのが大変。&#13;&lt;br&gt;
メールのやり取りに使うPCと、インターネット接続のない事務作業用PCとが完全に別々になっているので、仕事がはかどらない。&#13;&lt;br&gt;
ネット接続のあるPCと作業用PCとの間で個人情報ファイルを移動して作業するときは、上司の許可とチェックを受けなければならず、作業後も適切にファイル消去がされたかの上司チェックがある（今日は上司が出張なんだけど、どうしましょ）。&#13;&lt;br&gt;
うっかり個人情報をメールで誰かに送信したりしないように、メール送信には他の社員が必ず立ち会ってダブルチェックすることになっている。&#13;&lt;br&gt;
居酒屋で顧客の名前をうっかり口にしてしまったら、始末書を書かなければならない・・・とか、いろんな規則があってわけがわからない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
メールを受信したら、まず題名や送信者名を確認し、マルメールかどうかを判断しなければならない。&#13;&lt;br&gt;
例えば覚えのない送信者からのメールを発見したら、もう大変。怪しいので即LANケーブルを引っこ抜き、ネット切断！　すべての支局、支店、営業所、出張所とかに有線電話で連絡し（当然ですが、メールやIP電話では連絡できません。）、速やかなるネット切断を要請！　&#13;&lt;br&gt;
専門業者を有線電話で呼んで（・・・あ、課長！　携帯は止めて有線電話で呼んでください。ここで携帯を使ったりすると、後で大問題になりますよ！）、ウィルスチェック開始！　はい、今日〆切の仕事は全部、間に合いません！&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
何よりも、ウィルス感染メールの疑いありと報告したものの、実は何でもなかったとわかったときの同僚から受ける冷たい視線が一番きつそう。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>ブログっぽいこと</dc:subject>
      <dc:subject>自由がお嫌いで？</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>吉祥寺でバスク料理！！</title>
      <link>http://ike.asablo.jp/blog/2014/10/13/7458005</link>
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      <pubDate>Mon, 13 Oct 2014 20:45:10 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2014-10-13T21:25:35+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2014-10-13T21:25:35+09:00</dcterms:created>
      <description>この連休中、東京出張のついでに、青春の味が懐かしくなり、「いせや」で焼き鳥を食べようと吉祥寺に出かけた。ところが、連休だったせいか「いせや」の公園店も本店も長蛇の列。すごい人気である。昔は簡単に入れたはずなのに・・・。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
仕方なく、焼き鳥はやめにし、適当な飲食店を探しながら歩いていたら、バスク料理の「タラのサルサベルデ」（写真右）がメニューに載っている店を発見！&#13;&lt;br&gt;
躊躇することなく入店してみると、なんとチャコリがドリンクメニューに載っていた。&#13;&lt;br&gt;
チャコリというのは、バスク地方独特の微発泡白ワイン。うますぎて、ひたすら飲み続けることができ、ある意味、世界一危険な飲み物とも言える。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかもこの店、浅めの角張った感じのグラスが登場し（チャコリといったらこの器でしょ！）、目の前で、高いところからこのグラスに注がれるという本格的バスク方式であった！&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
バスクのサンセバスチャン（スペイン）と、バイヨンヌ（フランス）に旅行したのは２０年以上も前のこと。すっかり忘れていたが、チャコリとバスク料理は本当にすばらしかった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この吉祥寺の店も、タラのサルサベルデがとてもおいしかった。&#13;&lt;br&gt;
カウンターだけの小さな店ながら、バスクで修行したというシェフの腕とセンスの良さは確か。&#13;&lt;br&gt;
唯一の難点は、５組のカップルに５０代のおっさん１人という完全なアウェー状態であったこと。とはいえ、みな３０歳以上と思われる方々であるため、まあ何とか耐えられるレベル。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
久しぶりにいい店をみつけた。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>ブログっぽいこと</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>【後】この串焼きが食べたかったんだよ</title>
      <link>http://ike.asablo.jp/blog/2014/09/27/7443920</link>
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      <pubDate>Sat, 27 Sep 2014 00:28:00 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2014-09-27T00:30:50+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2014-09-27T00:30:50+09:00</dcterms:created>
      <description>2013年12月23日&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
レッチェで夜歩きを楽しみながら見つけたトラットリアで、最高の子羊料理に出会えた。&#13;&lt;br&gt;
この串焼きタイプを初めて食べたのは２年ほど前、レッジョ・ディ・カラブリアの店でだった。確か、そのときは２本しか付いておらず、もっと食べたいという欲求を残したまま、レッジョを去ることになった。&#13;&lt;br&gt;
&lt;a href="http://ike.asablo.jp/blog/2012/04/06/6403086"&gt;http://ike.asablo.jp/blog/2012/04/06/6403086&lt;/a&gt;&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
たぶんレッジョを再び訪れることは当分ないだろうし、同じものにありつけるまでには５～６年かかるのではないかと思っていた。このときも注文時はただ、肉の塊数個を想像しながらAgnello alla grigliaを頼んだだけだった。&#13;&lt;br&gt;
しかし、出てきたのは塊状の肉が見えなくなっちゃってるほどの串焼きである。あの２本を食べたいがために、レッジョに行こうと本気で考えていた私の目の前に、思いがけず、大量の串ものが登場！　だから真っ先に、何本あるか数えてしまったよ！&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この店は、テレビもついてないし、へたくそな画も飾っておらず、私が求める「正しいトラットリア」の基準（テレビとへたくそな画は必需品。これらがないと、しっくりこない）は満たしてはいない。しかも、盛りつけがキレイで、写真の後ろに少し写っている付け合わせの焼き野菜料理は、一つ一つのスライスされた野菜が皿に整然と並べられている。前菜に頼んだモッツァレラチーズも、ハーブやトマトがキレイに飾られていた。どうも「北」の香りがして、しっくりこないところがあった。&#13;&lt;br&gt;
それでも、そんな難点を補って余りある串焼き！　レッジョの店の３倍も盛ってあるし！&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ああヤバイ、これでレッジョには行く理由がなくなってしまった（レッチェには行く理由ができたけどね）。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>puglia</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>サランドラ広場(Nardò)</title>
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      <pubDate>Tue, 23 Sep 2014 00:24:36 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2014-09-23T00:31:46+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2014-09-23T00:29:43+09:00</dcterms:created>
      <description>2013年12月23日&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
Nardòという街は、97年に初めてプーリアを訪問したときから注目しており、近くのLecceに行くたび、何度も訪問計画を立てていた。しかし、交通手段が限られており、なかなか行けなかった街だった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
鉄道のSud-Est線には、街に近いNardò Cittàという駅と、街からかなり離れたNardò Centraleという駅がある。Lecceに宿泊して出かけようとすると、以前のダイヤでは、Centraleには簡単に行けて簡単に帰れるのだけれど、Cittàの方は、乗り換え時の待ち時間が半端ないという感じだった。&#13;&lt;br&gt;
夏場の海岸リゾート用のバスも、海岸線から離れたNardòへのアプローチには不便だった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
今回、時刻表を調べてみたところ、ほとんど待ち時間なしで街に近いNardò Cittàに行って帰れることがわかり、訪問決行となった。冬場は鉄道バスが利用しにくくなるもの。またダメだろうと思って一応調べてみることにしたのだが、意外な結果だった。&#13;&lt;br&gt;
私の行く手を阻み続けたSud-Est線も、ずいぶんと進化したものである（いや、この路線すらなかったらプーリア旅行は実現できなかったのですが）。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
写真はサランドラ広場。訪問した時間帯が悪くて逆光だけれど、こういう表情もバロック的で良かったかな。&#13;&lt;br&gt;
この景観は、プーリアならではのもの。あまり知られていない小さな街に、こんな広場がある。&#13;&lt;br&gt;
プーリアの魅力は全くもって果てしない。&lt;br&gt;
</description>
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    </item>
    <item>
      <title>【後】見知らぬ町ターラントの印象</title>
      <link>http://ike.asablo.jp/blog/2014/09/19/7438284</link>
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      <pubDate>Fri, 19 Sep 2014 00:22:33 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2014-09-19T00:47:52+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2014-09-19T00:36:32+09:00</dcterms:created>
      <description>2013年12月20日&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ターラントという街へ足を踏み入れたのは今回が初めてだった。列車で通過したことは何度もあったのだけれど。&#13;&lt;br&gt;
しつこいほどのプーリア行脚を続けながら、これまでターラントを避けてきたのは、危険な街というイメージが強かったのと、フェデリーコ関連の見所がなかったためだった。だが今回は、Massafra訪問の拠点として、どうしてもターラントに宿泊する必要があった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ターラントのイメージを悪くしていたもう一つの原因は、辻邦生氏が1967年に発表した「見知らぬ町にて」という作品の存在だった。この作品のモデルとなった町がターラントなのである。&#13;&lt;br&gt;
何しろ、書き出しが「ひどく疲れていた」である。何とも暗い。この疲労感に最後まで付き合わされる。しかも、ストーリーが茫漠としていて、何度読んでも書かれている内容が読み取れない難解さがある。ほんと疲れる。&#13;&lt;br&gt;
辻氏は、1959年にギリシャからシチリアに向かう列車の旅の途中で、ターラントで半日も足止めを食らったそうだ。「私の眼には、タラントの町は現実の町ではなく、実体のない影のように見えた」とのこと（『微光の道』新潮社）。&#13;&lt;br&gt;
とにかく、行きたくなくなるような情報ばかりだったわけだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
行ってみれば何のことはない、普通の街だったのだが。&#13;&lt;br&gt;
新市街はとても都会的で明るく、北の街の雰囲気に近い感じがした。クリスマスの電飾がきれいで、大勢の人が夜遅くまで通りを散策していた。遅くまで酒飲みを続け、1人でホテルまで歩いて行っても、とくに危険を感じるようなことはなかった。&#13;&lt;br&gt;
ただ、さすがに旧市街の方は凄みがあった。安全策をとって昼間のDuomo通りのみを散策するに留めたけれど、建物の壁は黒いし、脇道を覗いてみると廃墟になっている建物も目立つ。もっとも、少しずつ整備は進んでいるようなので、いつかは小綺麗で楽しい街に変身するのだろう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ちなみに、辻氏が立ち寄ったと思われる国立博物館は長期閉館中だった。ターラントに関しては、また来る口実が残ったということになる。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>本とか映画とか</dc:subject>
      <dc:subject>puglia</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>【後】バルレッタ城の広大な地下空間</title>
      <link>http://ike.asablo.jp/blog/2014/09/14/7434580</link>
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      <pubDate>Sun, 14 Sep 2014 00:27:37 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2014-09-14T00:33:34+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2014-09-14T00:33:34+09:00</dcterms:created>
      <description>2013年12月19日&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この写真はバルレッタの城のもの。前回の記事と同じ場所じゃありません。&#13;&lt;br&gt;
フェデリーコの胸像との対面を果たし、屋上からの眺めも堪能し、さて帰ろうかという頃、例によって怪しい階段を発見してしまった。そう、地下への階段である。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
下へ降りてみると、そこには広大な地下空間があった。&#13;&lt;br&gt;
写真と同じような大空間が何カ所もあり、通路でつながっていた。通路といっても幅が広くて天井も高く、倉庫などに使用できそうな空間がずっと連なっているような感じ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
歩いても歩いても次の空間がみつかる。途中で「なぜ私はこんな地下室ばかりを彷徨っているんだろう」と馬鹿馬鹿しくもなり、帰る道を覚えているんだろうかと不安にもなったのだが、フェデリーコゆかりの城を途中で帰るわけにも行かない。最後の部屋まで歩き切ってから地上へ出た。おかげで地下の見学だけでかなり時間がかかってしまった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
城を出てから城全体をみてみると、どうやら私が地下と思っていた空間は、深く掘り下げられたお堀の底からみれば１階部分にあたるようだった。ということは、本当の地下室が別にあるのかも知れない。&#13;&lt;br&gt;
巨大な城には、まだまだ入ったことのない空間がいくつもありそうだ。&lt;br&gt;
</description>
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    </item>
    <item>
      <title>【後日談】妻たちのクリプタ</title>
      <link>http://ike.asablo.jp/blog/2014/09/06/7429284</link>
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      <pubDate>Sat, 06 Sep 2014 00:51:26 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2014-09-06T00:53:17+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2014-09-06T00:53:17+09:00</dcterms:created>
      <description>　&#13;&lt;br&gt;
ここはアンドレア大聖堂の地下聖堂。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
フェデリーコの２番目の正妻ヨランダ・ド・ブリエンヌ（エルサレム王位を継いでいた）、３番目の正妻イザベラ・オブ・イングランド（ジョン王の娘）が埋葬された場所である。&#13;&lt;br&gt;
アンドレアの大聖堂には、２００４年にも行ったことがあった。しかし、辿り着いた時間帯が悪くて中には入れなかった。まあ、開いてる時間を事前に調べないで立ち寄る私も悪いのだが・・・。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
今回（2013年12月19日）は、バルレッタでフェデリコの胸像を拝んだ後で、バーリへの帰り道に立ち寄ってみることにした。&#13;&lt;br&gt;
着いてみると、警備員風の制服を着ているお兄さんが出入り口を塞ぐようにして若い女性２人とおしゃべりをしており、そろそろ閉まる時間という雰囲気だった。その３人の間をサッとくぐり抜けて大聖堂に突入。しばらく大聖堂内を見学させてもらいながら、地下への入り口を探っていた。&#13;&lt;br&gt;
だが、そのような入り口を指し示す看板などもなく、３周ほど中を巡ることになった。最終的にこの階段が怪しいと思って降りてみると、その空間の壁には、フェデリーコの妻２名の名前が書かれたパネルが貼ってあった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
私にとってみると、大聖堂の１階より上の部分よりも、この地下聖堂の方が重要である。&#13;&lt;br&gt;
こんな写真を撮ったりしながら地下でずっとブラブラしていたら、警備のお兄さんが私を探しに来てくれた。どうやら門を閉める時間らしい。&#13;&lt;br&gt;
こうして、ギリギリのタイミングで９年来の宿題をクリア。そしてまた、プーリアに出かける口実が一つ減った。&lt;br&gt;
</description>
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    </item>
    <item>
      <title>Massafra</title>
      <link>http://ike.asablo.jp/blog/2013/12/22/7134918</link>
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      <pubDate>Sun, 22 Dec 2013 00:15:08 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2013-12-22T00:15:52+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2013-12-22T00:15:52+09:00</dcterms:created>
      <description>&#13;&lt;br&gt;
またプーリアに行きたいと強く強く念じれば、何かしら口実が見つかるものである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
Massafraは、マテーラやグラヴィナ・イン・プーリアと同じく、Gravinaと呼ばれる谷の上にある街である。そのため、前から気になっていた街だった。&#13;&lt;br&gt;
今回、Massafraの城が、フェデリーコ２世の手によるものではないかとの説（理由は塔が八角形だからというものらしい）があると聞き、ついにやっ来るべき口実がみつかった。その真偽はともかく、ロベルト・イル・グィスカルドの甥が建てたノルマン城がこの城の礎だったことは間違いないらしい。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
今日は、例によって修復工事中につき、城の見学はできなかった。一部は図書館として利用されているのだが、それも土曜日だったために中に入れず。&#13;&lt;br&gt;
ま、こんなもんでしょう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
Massafraは、この地域によｒくある「白い街」の風情もあり、Gravinaの独特の景観もあり、なかなか魅力的な街だった。&lt;br&gt;
</description>
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    <item>
      <title>やっと会えたフェデリーコの胸像</title>
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      <pubDate>Fri, 20 Dec 2013 06:38:03 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2013-12-20T07:12:25+09:00</dcterms:modified>
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      <description>　&#13;&lt;br&gt;
やっとフェデリーコ２世の胸像に会えた。&#13;&lt;br&gt;
場所はバルレッタの市民博物館。その存在は、ずっと前から知っていたのだけれど、なぜか観ることができなかった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
1998年にここに来たときは、展示品の整理のためとかで長期休館中だった（休館中でも観たという人もいるらしいが）。2011年に再チャレンジしたところ、休館日にあたっていてこれまた不発。当然、数日後に再々チャレンジをしようとしていたのだが、風邪をひいてしまって中止。&#13;&lt;br&gt;
今回は事前に開館時間も調べ、ようやくこの部屋にたどり着けた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ま、もうちょっと普通に展示しておいて欲しかった気もするけれど・・・。&#13;&lt;br&gt;
しかも、この手前の２つの部屋には、フェデリーコ関係のかなり手の込んだ（かなり予算がつぎ込まれた）展示もあった。&#13;&lt;br&gt;
いずれの部屋にも、立方体のディスプレイが真ん中に置かれ、壁にも映像が投影される装置が設えられている。&#13;&lt;br&gt;
最初の部屋は、フェデリーコの鷹狩りや鳥類の研究に関する図が次々と映し出されていた（私が見たことのない絵も多数あって感動！）。次の部屋は、十字軍関係で、フェデリーコとイスラム君主のアル・カーミルが並んで描かれた有名な（？）絵などが浮かび上がる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
おそらく、この映像プログラムを最初から最後まで見切った人は、この一ヶ月の間において、私１人だけではないかと思う。&#13;&lt;br&gt;
何しろ、アナウンスによる説明も、パネルによる説明も一切なしというマニア向けとしか思えない展示方法である。いくつもの画面には、同時に違う映像が映し出されるため、全部観るのに時間がかかる。&#13;&lt;br&gt;
普通は立方体のディスプレイを横目に、ただ通り過ぎるだけだろう（もしかして、バルレッタ市民は郷土史の教育が徹底していて、あれこれ説明を受けなくても、その図像の意味がわかるのだろうか）。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ともあれ、１０年越しの宿題をやっと片付けられた。&lt;br&gt;
</description>
      <enclosure url="http://ike.asablo.jp/blog/img/2013/12/20/2e7079.jpg" length="39271" type="image/jpeg"/>
      <dc:subject>puglia</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>新誌名創刊！ 『月刊住職』</title>
      <link>http://ike.asablo.jp/blog/2013/12/14/7109002</link>
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      <pubDate>Sat, 14 Dec 2013 19:20:29 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2013-12-14T19:49:31+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2013-12-14T19:49:31+09:00</dcterms:created>
      <description>昨日の朝日新聞１面、出版物の広告欄で、『月刊住職』という見慣れない雑誌名が目にとまった。新誌名創刊だそうな。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
・　スーパー最大手が「永大供養」を売り出した大問題&#13;&lt;br&gt;
・　国有地にされた境内地奪還裁判で寺院が勝訴&#13;&lt;br&gt;
・　初の各宗派調査　教化費の使徒と費用対効果&#13;&lt;br&gt;
・　月命日に壇信徒を訪ねる住職たちに学ぶ功徳&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
といった内容。寺院に関連する生々しい情報に溢れている。そう、私が愛するあの某業界スーパー月刊誌『寺門興隆』↓と瓜二つなのであった。&#13;&lt;br&gt;
&lt;a href="http://ike.asablo.jp/blog/2009/04/08/4232536"&gt;http://ike.asablo.jp/blog/2009/04/08/4232536&lt;/a&gt;&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
私のようなファンが増殖した結果、ついにライバル誌が創刊されたのだろうか。一瞬そう思ってしまったが、よくみると「『寺門興隆』改名」とある。出版元も興山舎で同じだった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
Wikipediaには、その事情が書かれている。&#13;&lt;br&gt;
もともと1974年に金花舎が『月刊住職』を創刊したが、金花舎の倒産に伴って、興山舎が後継誌である『寺門興隆』を1998年に発刊するようになったらしい。そして、今年の１２月から、興山舎が誌名をもとの『月刊住職』に戻したというわけである。&#13;&lt;br&gt;
個人的には、『寺門興隆』の方が好きだったのだけれど、40年もの歴史を刻んだ雑誌なのだとしたら、創刊当初の誌名に戻すのも納得できる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ちなみに、興山舎のHPによると、『最新　寺院の法律実務大辞典』が近刊予定だそうである。これは大歓迎で、発刊されたら購入するつもりだ。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>ブログっぽいこと</dc:subject>
      <dc:subject>本とか映画とか</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>〔後〕友よ 寛大なる者よ</title>
      <link>http://ike.asablo.jp/blog/2013/05/07/6802638</link>
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      <pubDate>Tue, 07 May 2013 01:16:18 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2013-05-07T01:20:14+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2013-05-07T01:20:14+09:00</dcterms:created>
      <description>　&#13;&lt;br&gt;
ヤッファ条約へとつながるアル・カーミルとフェデリーコの信頼関係は、フェデリーコが十字軍に出発する前から築かれていたらしい。&#13;&lt;br&gt;
アル・カーミルは、皇帝として十字軍を率いるであろうフェデリーコに関心をもち、ファクルッディーンという外交官をパレルモに送った。フェデリーコが流暢なアラビア語を話し、先進的なイスラム文化を深く理解していることに驚嘆したファクルッディーンは、アル・カーミルに対し、フェデリーコが普通の王様でないことを報告する。&#13;&lt;br&gt;
そして、この外交官を通じ、アル・カーミルとフェデリーコとの友情が発展していった。当初は、論理学や天文学といった学問に関する書簡の往復があり（これもアラビア語で行われたらしい）、アル・カーミルからは珍しい動物や天文観測儀がフェデリーコに贈られた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この事前の書簡のやりとりを通して、フェデリーコは、軍事力によらず、交渉でエルサレムの奪還を実現できると踏んでいたようだ。&#13;&lt;br&gt;
アル・カーミルとしては、その頃、エルサレムが仲の悪い弟のアル・ムアッザムの支配下にあったため、むしろ友人であるフェデリーコにエルサレムを占領してもらった方がよいと判断していたとも言われている。&#13;&lt;br&gt;
フェデリーコは、それなりの見通しがあったため、身辺警護のための最小限度の軍隊しか現地に連れて行かなかったわけである。その意味では、ヤッファ条約による和平は、相互の利害がたまたま一致したために生まれたものでともいえる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
アル・カーミルもフェデリーコも、「聖地」を特別扱いせず、合理的な損得勘定で動いていたわけで、平和主義の思想に基づいてヤッファ条約を結んだわけではない。おそらくは、この方々が最も忌み嫌ったのは、その種の「主義」がもたらす馬鹿馬鹿しい争いごとだったのではないだろうか。&#13;&lt;br&gt;
そんな二人の感覚は、キリスト教世界からもイスラム世界からも理解されなかった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ちなみに、エルサレムのダビデの塔は、エルサレムの歴史を辿ることのできる博物館になっているけれど、フェデリーコのことには全く触れられていなかった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
イタリア半島部のプーリアで死んだフェデリーコの遺体はパレルモに運ばれ、大聖堂に葬られた。&#13;&lt;br&gt;
埋葬された際に彼が身につけていたシャツの袖には、次のような言葉がアラビア語で刺繍されており、これはアル・カーミルへ宛てたものだと言われている。なぜアル・カーミルへのものなのか、その根拠はよくわからないが（友達がほかにはいなかったからだろうか）、本当だとしたら、泣ける話である。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　友よ　寛大なる者よ&#13;&lt;br&gt;
　誠実なる者よ　富める者よ&#13;&lt;br&gt;
　勝利者よ&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>自由がお嫌いで？</dc:subject>
      <dc:subject>puglia</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>〔後〕ヤッファ条約</title>
      <link>http://ike.asablo.jp/blog/2013/04/27/6791279</link>
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      <pubDate>Sat, 27 Apr 2013 01:14:28 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2013-04-27T01:24:03+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2013-04-27T01:24:03+09:00</dcterms:created>
      <description>　&#13;&lt;br&gt;
今回の「フェデリーコツアー・イスラエル編」で、最も重要な訪問地はヤッファ（Old Yaffo / Tel Aviv）だった。&#13;&lt;br&gt;
なお、訪問当日の記事はこちら↓&#13;&lt;br&gt;
&lt;a href="http://ike.asablo.jp/blog/2012/12/27/6672804"&gt;http://ike.asablo.jp/blog/2012/12/27/6672804&lt;/a&gt;&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
1228年9月、十字軍を率いてアッコンに到着したフェデリーコは、アイユーブ朝のスルタンであるアル・カーミルとの交渉を進めた。&#13;&lt;br&gt;
1229年2月11日、ヤッファにおいてフェデリーコとアル・カーミル間で平和条約が結ばれ、2月18日に発効。3月17日にはフェデリーコが聖地エルサレムに入った。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この条約の内容は、エルサレムをキリスト教徒とイスラム教徒とで共同統治しようというもの。&#13;&lt;br&gt;
神殿の丘のイスラムの聖地はイスラム教徒が管理することになり、それ以外の旧市街はキリスト教徒側に引き渡されることになった。ただし、１０年間の期限付きであった。&#13;&lt;br&gt;
十字軍の歴史の中で、ヨーロッパ側がエルサレムの奪還に成功したのは第１回十字軍と、このヤッファ条約によったフェデリーコの十字軍のみだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
実は、平和条約を結んでエルサレムをヨーロッパ側に、という話はその１０年前にもあった。&#13;&lt;br&gt;
アル・カーミルは、1219年、本拠地エジプトを攻められた際にもエルサレムとパレスチナを譲ると提案していた。だが、聖戦にこだわったヨーロッパ側がその提案を拒否していた。&#13;&lt;br&gt;
結局、戦闘続行となり、反撃に出たアル・カーミルはヨーロッパ側の海軍を壊滅させる。そのうえでアル・カーミルは、ヨーロッパ側に３０年の休戦条約を提案した。しかし、またもヨーロッパ側が休戦を拒否。&#13;&lt;br&gt;
最終的にはアル・カーミルが完勝してしまったため、そんなこんなで、エルサレムの引き渡しの話は立ち消えになった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
アル・カーミルは、かの有名なクルドの英雄サラディンの甥にあたる。しかし、伯父がイスラム世界をまとめた「聖戦」というイデオロギーには染まってはいなかったようだ。&#13;&lt;br&gt;
フェデリーコもそうなのだが、このスルタンも宗教的なこだわりがない聡明な人物だった。この二人の組み合わせだったからこそ実現できた聖地の和平といえるのだろう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そのせいだろうか、このヤッファ条約は、当時の人々には理解しがたい暴挙にみえたようである。フェデリーコはキリスト教世界の世論から聖戦になってないと非難され、アル・カーミルはイスラム世界の世論から裏切りだと非難された。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
まあ現代においても、領土問題に妥協などあってはならないというのが「世論」なのだから、今も昔も変わっていないとも言える。&#13;&lt;br&gt;
まして、「もっと強く言う」とか「粘り強く説得する」とかすれば軍事力なしで解決できるのだという、中高生の弁論大会レベルの「世論」が有力な国もあるわけだから、私たちは少しも進歩していないのかも知れない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
写真はエルサレムのコットンマーケット。&#13;&lt;br&gt;
ヤッファ条約による１０年の和平によって経済活動が活発化し、生まれた市場だそうだ。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>自由がお嫌いで？</dc:subject>
      <dc:subject>puglia</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>〔後〕"SASHIMI"という名の料理</title>
      <link>http://ike.asablo.jp/blog/2013/04/12/6775515</link>
      <guid>http://ike.asablo.jp/blog/2013/04/12/6775515</guid>
      <pubDate>Fri, 12 Apr 2013 23:08:11 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2013-04-12T23:09:16+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2013-04-12T23:09:16+09:00</dcterms:created>
      <description>(2012年12月26日）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この日の夕食は、まずはイタリアン・レストランでワインを一杯ほど。その店では、とりあえず、つまみ程度の前菜だけにして、その後、ホテル近くのラテン風のバーに移動した。&#13;&lt;br&gt;
テルアビブの夜は賑やか。早朝まで開いているバーも数多く、酒飲みにはたまらない都市の一つと言えるのではないかと思う。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
まずは&amp;quot;Estrella1906&amp;quot;というスペインのビールを頼む。&amp;quot;Estrella&amp;quot;は私が乗ってるカワサキ製バイクと同じ名前である。前々から飲んでみたいと思っていた銘柄のビールだった。&#13;&lt;br&gt;
この店は、テルアビブで流行中のいわゆるスシ・バーとは違うのだが、メニューにはその流行りを取り入れたと思われる興味深い料理がいくつかあった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
というわけで、そんなスペシャル和食メニューの中から、まずは生牡蠣のわさびソース風を食してみた。う～む、わさびはいいとして、そのウズラの卵の卵黄は余計では？　という料理だった。&#13;&lt;br&gt;
お次は、&amp;quot;SASHIMI&amp;quot;と題された料理である（写真）。&#13;&lt;br&gt;
生のマグロにはごま油が塗られ、塩が振ってあった。スライスされたタマネギとの相性は微妙であったが、まあそれなりに楽しめる料理だった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この種のバーはホテル近くに何軒もあって、どの店も大盛況だった。&#13;&lt;br&gt;
ご飲食代の方は結構高め。お酒も、少量しか載ってない料理も、１杯・１皿で１０００円前後。お腹いっぱいに食べたり、気持ちよく酔うまで飲むとすると結構な散財になってしまう。そう気安く行けるような店ではないはずなのだが、それでも開店直後を狙わないと、すぐに満席になってしまって、予約なしでは席が確保できないような状態だった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
テルアビブの若者たちは、それほど稼いでいるのか？　年末だけのどんちゃん騒ぎなのか？&#13;&lt;br&gt;
一方で、この地点からほんの数十キロしか離れていない場所に貧困があり、そこからロケット弾が飛んで来る・・・酩酊気味の頭の中をいろんな情報が行き交い、混乱する。&#13;&lt;br&gt;
そういう意味でも、イスラエルは刺激的な国だった。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>ブログっぽいこと</dc:subject>
      <dc:subject>puglia</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>〔後〕テルアビブの白いホテルにて</title>
      <link>http://ike.asablo.jp/blog/2013/03/12/6744334</link>
      <guid>http://ike.asablo.jp/blog/2013/03/12/6744334</guid>
      <pubDate>Tue, 12 Mar 2013 00:48:32 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2013-03-12T00:53:05+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2013-03-12T00:50:46+09:00</dcterms:created>
      <description>(2012年12月26日）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この日はフェデリーコ２世の誕生日。アッコンを出発してテルアビブに入った。&#13;&lt;br&gt;
宿泊したのは、写真の小さなホテルで、外観からしてそのデザインは秀逸。テルアビブの白い建築群は、世界遺産に登録されているのだが、この建築物もその一翼を担っているというところではないかと思う。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
私は最上階のシングルルームに泊まらせてもらったのだが、内装もなかなかスタイリッシュだった。細部にわたってデザイン化された建築物で、例えば、エレベーターを待っている間にくるりと体を廻してみただけで、楽しい絵画、ユニークな案内板、斬新なデザインの家具の数々が目に入ってくる。&#13;&lt;br&gt;
ベランダにはラベンダーその他のハーブが植えられた大きな鉢がある。部屋にはエスプレッソマシーンがあって、そいつで淹れたエスプレッソを、そのベランダのテーブルで飲んじゃったりできる・・・そんなことも知らずに私は予約してしまったが、ニッポンのおっさん一人で泊まるような場所ではなく、滞在中はやや肩身の狭い思いだった。&#13;&lt;br&gt;
ホテルのスタッフは、若い美女ばかり。２泊３日の間、私が出会ったフロントのスタッフは、交代制らしくて合計４人もいた。その全員が、驚くほどに美女ばかりなのである。そこまで「美」を追求しなくてもいいでしょ、と言いたくなるほどだった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
街へ出てみると、その世界遺産クラスの建築デザインもさることながら、商店街で目にする洋服、アクセサリー、食器類、雑貨類がどれも秀逸だった。&#13;&lt;br&gt;
まあ、私が田舎に住んでいるせいもあるのだが、街全体が「美」に対する強烈なまでのこだわりをもっている気がした。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ホテルの隣のビルには、日本の工芸品を扱う店もあった。&#13;&lt;br&gt;
この店、東京でも京都でも滅多にお目にかかれないほどの審美眼をもった店だった。&#13;&lt;br&gt;
どれもこれも買いたくなるような器、布、紙、そして日本酒！&#13;&lt;br&gt;
ディスプレイとして、おみくじを結びつけた木の枝が飾ってあった。神社で見慣れた風景が、雑貨店のディスプレイになっているというわけである。これをみて、無数のおみくじが結びつけられた枝が、ああ美しいものなのだと、初めて思った。&lt;br&gt;
</description>
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