後日談7・マテーラの犬2006年10月01日 13:33



8月30日、カラブリア最後の目的地だったロッカ・インペリアーレを出てから、行き先には迷いがあった。心の中で、朝から目的地はコロコロと変わっていた。ターラント、マルティナ、アルベロベッロ・・・。

結局、バジリカータ州に入たところで、なぜかそれまで気持ちの中になかったマテーラに行きたくなって方向転換した。
最初に訪ねた97年のときも、マテーラは予定になかった。なのに、かなり遠回りして出かけた。2002年には、近くのアルタムーラに泊まる予定が、ホテル満杯でマテーラに移動。今回も予定外のマテーラ泊となった。

少し緊張をほぐしたい気持ちになっていたのだろうと思う。南イタリアは、非常におもしろい場所なのだけれど、緊張感を維持していないといけない雰囲気がある。マテーラでは、そんな緊張感が和らぐ気がしている。
マテーラで気持ちがほぐれるのは、常宿の「アルベルゴ・イタリア」というホテルがあって、メニューを熟知しているサッシのレストランがあるせいだろうと思う。どちらも特筆すべき何かがあるわけじゃない。ただ、私にとっては全てにおいて過不足がないところが気に入っている。そのピタッと来る感じがとても心地よい。気分良く食べて、気分良く寝られる。

こうしてマテーラを訪ねるたび、いつも97年の出来事を思い出す。
それは商店街で、確かショーウィンドウの時計をみていたときのことだった。突然、眼鏡のレンズの上を得体の知れない物体がぐるぐる回り出し、視界がなくなった。それは、ピンク色をした軟体動物系の物体だった。同時に体がショーウィンドウに押しつけられ、身動きがとれない。その瞬間、本気で思ったのは・・・。

「宇宙人の襲撃で死ぬなんて!」

ちゃんと状況判断ができるようになったのは、下の方に犬の脚がチラッと見えてから。そういえば、襲われる直前に、走る犬の姿を見たような・・・。
実際よく見てみたら、その"謎の生命体"は犬の舌だった。私の背丈を上回る大きな犬が、その両前脚を私の両肩にのせ、私の顔全体をベロンベロンやっていたのである。かなりの体重でのしかかってきていたから、脱出は難しかった。でも、なんとか犬の両前脚をつかむことに成功し、そいつを無理矢理地面に降ろして逃げることができた。
ところが、今度はその犬の追跡が始まった。私が街を散策している間中、この犬は私の後をずっとついてきたのである。何しろ、そのショッキングな出現の後だったから、また襲って来る気がして落ち着かない。

追跡が20分ほど続いた後だったろうか。歩いていた先に、ちょうど車が止まり、降りてきた若い女性がしゃがみ込んでその犬に手招きをした。大変な犬が好きとみえて、満面の笑みを浮かべて犬を呼んでいる。「ああ、これでこいつとおさらばできる」と思った。女性が犬を撫でたりしてる隙に、その先の道をさっと曲がって駆け足で逃げる計画であった。
ところが、この犬はその女性をほとんど無視。道端にしゃがんで待っていた彼女の前で、一瞬立ち止まったものの、プイっと走り出してしまう(それは猫のやることだろっ!)。すでに足を速めていた私に、犬は追いつこうとしたのである。そのときの呆然とした女性の表情が忘れられない。

その犬からようやく解放されたのは、たくさんの人のいる大きな広場まで出てからだった。
ようやく、あきらめましたという顔をして、人混みの中に犬は消えていった。ここでも犬に声をかける老人がいたけれど、まるでそんな声など聞こえないかのように、犬はとぼとぼと歩いて行ってしまった。
犬の姿が見えなくなったときは、ただただホッとした気持ちだけだった。しかし、ホテルに帰る道すがら、次第に頭が冷えてゆくうちに、もっと優しくしてやれば良かったという気持ちになった。
もしかすると、その犬が大好きだった人と、私との間には、服装や臭いとかの共通点があったのかも知れない。そしてたぶん、その大好きだった人はマテーラにはもういないのだろう。懐かしさのあまり、夢中であの犬は私に飛びかかって来たのかも知れない。

あれからマテーラへは何度も足を運んでいるけれど、その犬に再会することはなかった。もう死んでしまったろうと思う。でも、いつもその広場に行くと、ついつい犬の姿を探してしまう。

雨はもういいです。2006年10月06日 21:07


信州に引っ越して1年が経った。
9月から10月にかけてのこの季節、晩夏なのか秋なのか初冬なのか、今年もよくわからない。

ともあれ、今年は雨が降り続くことが多く、気温が昨年より低くなっているような。当たり前のことながら、去年と同じ今年であるわけがない。鳥さんたちの動きについても、あらためて探る必要があるようだ。

去年は、通勤路の看板に、よくとまっているモズが見られた。3日に一度はお目にかかれたので、今年も同じように挨拶できるかと思ったら、今年は看板上に姿を全く見せない。
もちろん、他の場所でモズを見かけることは多い(写真のモズは別の場所で今年撮った)。でも、ずっと楽しみにしていたので、あの看板の上にいてくれないと寂しい。

最近、通勤路で撮影を狙っているのはキセキレイだ。だが、去年は通勤路の小川でよく見かけたのに、今年は同じようには姿を見せてくれない。そこで、小川沿いに遠回りして歩いてみたら、遠くに飛ぶ姿を見ることができた(撮影はできず)。いるにはいるらしい。

徐々に、今年の傾向と対策をが飲み込めつつあるが、困ったのはこのところの雨。傘をさして歩いていると、小鳥の気配を感じることができないし、カメラが濡れる。
このところの雨の多さは、日常バードウォッチングには不向き。望遠デジカメという武器を手に入れたというのに、活躍できる機会が少ない。

明日からの連休、きっと晴れますように。

今年一番のコーヒーとおみやげ2006年10月09日 17:56


今日は久しぶりにバイクで遠出してみた。
まずは松本から善光寺道を北上し、青木峠を経て、修那羅峠の石仏群をみに行った。
ここは途中で車両通行止めになっていたので、バイクを置いて山道を登ることになった。

石仏群が見事だったのはともかく、山道の途中で飲んだコーヒーがやけにうまかった。家からインスタントコーヒーを魔法瓶にいれて持ってきていたので、これを四阿のところで飲んだ。
最初は携帯コンロを持って行こうとしたものの、荷物がバイクのケースに入り切らないため断念し、魔法瓶で妥協した。しかし、これで十分だった。

やはり、山を歩き、山で飲むコーヒーはうまい。

その後、さらに北に向かい、冠雪したアルプスの山々を眺められるところまで行って引き返した。
その行程での収穫は、筑北村で買った「はぜかけ米」。
稲刈りの季節になると、収穫が終わった田んぼに、刈り取られた稲が干されている風景がみられる。子どものころ、鉄棒がわりにして遊んだ、あの干し台のことを「はぜ」というらしい。そのはぜにかけてあった新米が入手できたのである。
先日、女房がタクシーの運転手から「はぜかけ米」の話を聞き、いたく心をひかれたようだった。うまさは格別ながら、一般の流通に乗らない米らしく、そう聞くと、是非とも食べてみたいと思う。

それが今日、筑北村の道の駅で売られていた。最初、「はぜかけ米」ながら、「17年米」と張り紙があったため、やめておこうと思った。ところが、店のおばさん曰わく、昨日までのイベントのため、新米がパッケージされたものもあるというではないか! ・・って、振り返れば残り3袋! が、目の前でたちまち1袋に! 

その最後の最後の1袋をゲットしてきた。
ちょうどわが家で話題になったばかりだったので、いいおみやげになった(と思う)。

今年のご近所キセキレイ2006年10月24日 13:05


ようやく、通勤路にある小川にキセキレイが現れるようになった。繁殖期に入ったのか、ほぼ毎日、2羽で追いかけっこしている姿がみられる。

小さくて、じっとしていることのないキセキレイの撮影は難しい。「あ、いた」と思ってカメラを構えた頃には姿を消していることも多い。
私としては、是非ともあの黄色いお腹を綺麗に撮りたいのだが、そんな写真はまだ撮れていない。当分は無理かも知れない。

キセキレイの魅力は、やはりあのお腹の羽の黄色の美しさ。その色自体がかなりカワイイと思う。
ところが、キセキレイは水辺に執着する小鳥であるため、人間側の視点はどうしても、彼らのいる場所より上になってしまう。土手や堤防の上から川原を見下ろすようなアングルでは、あの黄色いお腹がよく見えない。背中ばかりをみることになりやすい。
たまに屋根や電線にとまることもある。だが、それはそれで、逆光になってちゃんと写真が撮れなかったりする。小鳥の撮影はとにかく難しい。
船に乗って岩場にいるキセキレイを狙う方法が一番なのだが、さすがにそこまでやる根性はなし。気長にチャンスを待つことにしよう。

もう少し季節が進んで寒さが厳しくなると、彼らはさらに下流に移動し、街を流れる川あたりに出没するはずだ(去年はそうだった)。
そちらの方が撮影の条件には恵まれているのかも知れない。来月になったら、街の散策ついでに、川辺に寄ってみようと思う。

私の掛け布団を引っ張るのは誰?2006年10月26日 12:00

「プリンチペッサ・シケルガイタ・ディ・サレルノ」がこのコの名前です。

今週の月曜日、早朝のまだ外が薄くらい頃のことだった。
私が被っていた掛け布団を、ゆっくりと引っ張る気配が感じられた。その日は女房が東京に泊まっているはずだから、誰もいないはず。いったい誰が私の布団を引きはがそうというのか。最初は不思議に思いながらも、眠気の方が勝り、そのままウトウトしていた。ところが、掛け布団はさらに下の方に下がって行き、ついには肩が布団から出てしまった。
これは寒いと思って、掛け布団を元に戻そうとしたところ、そこでシケルガイタ様が小さく「ニャッ」と鳴いた。

それは、シケルガイタ様が仕掛けた、召使いを起床させるための巧妙な手口であった。
普段は、私より早起きな女房がシケルガイタ様の標的になっている。しかし、その日は女房が東京で泊まりだったため、久しぶりに私が狙われたのだった。

思い起こせば、わが家にシケルガイタ様がやってきた当初、おとなしい性格のこの公女様は、召し使いである人間に対しても控えめで、朝ご飯のために私たちを叩き起こすようなことは決してなかった。
それが数年経つと、すっかり猫らしくなり、召使いが寝ている布団の上に飛び乗ってみたり、耳元でニャーニャー騒ぎ立てるようになった。しかし、いくら相手が公女様とはいえ、こちらもゆっくり寝ていたいときもある。やがて、私たちもシケルガイタ様の振る舞いに慣れ、どんなにニャーニャー騒がれても眠り続けたり、あるいは眠ったふりをするようになった。

かくして、力任せの激しいやり方だけでは召使いの反感をかい、かえって朝ご飯の時間が遅れるのだということを、公女様も学習なさったようだ。
月曜日のシケルガイタ様はたぶん、次のような方法をつかったのだと思う。私が寝返りをうつと、布団の中に空洞ができる。その空洞の上に、ゆっくりと両前脚を載せ、徐々に体重をかけてゆく。そうやって空洞を萎ませると、連動して布団が移動する。そうした布団の動きを感じて、私が寝返りをうつと、また空洞ができるので、そこにまた体重をかける。これを2、3回くらい繰り返した感じだった。
そして、私が寒さを感じ、布団を戻そうと手を動かしたタイミングを見計らい、小さく「ニャッ」とだけ鳴き、とどめを刺したというわけである。

日に日に巧妙化するシケルガイタ様による召使い起床作戦。
猫はご飯のためなら何でもすると言われるが、ともあれ、ハードな方向に賢くならなくてよかった。

後日談8・ルチェーラのレストラン2006年10月29日 09:28


ルチェーラでは、トレードマークがターバン姿のサラセン人という(中世のルチェーラにはサラセン人のコロニーがあった)、この街ならではのレストランで食事をした。
この街には、街の規模の割に"高級"を売りにしたレストランがいくつかあるし、有名観光地でもないのに、ワインバーやパブスタイルの店もある。意外とグルメの街なのかも知れない。
しかし、私が行ったそのお気に入りのレストランは、どちらかというと、そんなグルメ路線に乗り切れてないレストラン。

ダメなところその1は、ウェイターのおじさんがワインの在庫も値段も把握してないこと。
メニューに載っていた"Primitivo di Manduria"を頼むと、「それはない・・・、と思う。」という曖昧な返事だった。実は、私は去年もこの店で食事している。そのときも同じワインを頼もうとしたのだが、去年も全く同じ返事だった。
というわけで、今回はホントにないのか、おじさんと一緒に冷蔵庫の前に立ち、自分で確かめてみた。

この店では、白も赤もロゼも何もかもが、同じ冷蔵庫で同じ温度で保管され、その温度のままに客に出される(一カ所で在庫が全部が見られるので、とっても便利)。
二人で確かめてみたところ、やはり"Primitivo di Manduria"はなかった。それならばと、冷蔵庫に現物があった"Aglianico"が気になり、値段はいくらかとおじさんに尋ねた。おじさんは、値段はメニューをみてくれと言う。いや、私はメニューに載っていなかったから聞いたのだがね。
二人でワインリストを眺めてみると、やはり"Aglianico"の値段は掲載されていない。困惑した表情のおじさんは、しばし熟考の末、「6.5ユーロ・・・と"私は"思う( Secondo me, 6.5euro...,penso io.)」と仰る。"私は"ってどういうこと? お店としての見解ではないってことかよ!?
で、そのワインの値段は6.5ユーロ(約1,000円)でよいことに二人で決め、私はそのワインを頼んだ。それにしても、1000円のワイン一つのために、やけに時間と手間がかかったこと。

ダメなところその2。お店のスタッフが客席でテレビを観ていること。
私が好きなレストランの条件は、まず、厚手の布をつかったテーブルクロスや、凝ったデザインの扉、古木をつかった梁のある天井など、雰囲気づくりにお金がかかっていること。
そして、その次が非常に大事なのだが、テレビが置いてあったり、へたくそな絵が飾ってあったり、食品メーカー提供の冷蔵庫(幼稚な花柄や子ども向けのキャラクターが描いてある)が置いてあったりすること。
せっかくの雰囲気を台無しにするアイテムが必ずないと、なぜか落ち着かない。そのトンチンカンな感じがたまらなく好き(もちろん、そのトンチンカンさなりに低価格でないといけない)。

このレストランは、内装やテーブルの雰囲気は高級路線。ところが、テレビ、変な絵、花柄冷蔵庫の3点セットが揃っているばかりか、さらに場違いな感じの水槽があって、水槽とほぼ同じくらいに巨大化したミドリガメが、じたばたやっている。そして、テレビからは大音響が漏れており、厨房の奥から出てきた白衣を着た人や、さっきまでピザを焼いていた人とかがテレビの前の客席に座ってクイズ番組に熱中していた。

このダメダメな雰囲気が、私を惹きつける。
ルチェーラのこのお店は、ダメなところがいっぱいでも、そこそこ美味しい料理を出してくれるし、私に高い金をふっかけてくることもない。ウェイターのおじさんは愛想を振りまくわけではないが、決して"中国人"を特別な目で見たりしない。それで十分だし、私には快適。
この店のダメなところは、決して取り除いてはいけない気がする。ほどほどの店が、ほどほどの
ウェイターが、十分に生きて行ける社会の方がいいに決まってる。いつまでも、そんなプーリアであって欲しいと思う。

帰国後、ニッポンのファミリーレストランに行ったとき、そのきちんとした応対をしてくれるアルバイトさんたちが、なぜか痛々しく感じられた。
マニュアルに従ってるだけで心がこもってないとか言う人もいるけれど、これで心までこもっていたらますます痛々しい。客なんて、そんなにエライわけじゃないんだしね。