【後】卵城にて ― 2012年05月07日 23:49
(2012年1月8日:Napoli)
これまたすっかり忘れていた。かの有名なナポリの卵城のことを。
この城はあまりにもメジャー過ぎて、自分が行くべき場所ではないと思い込んでいた(笑)。
実際、行ってみると見学客でごった返しており、私がよく行く「城」にしてはやけに賑やか。どうも調子が出ない。
しかし、ここも12世紀のノルマン期に建造された城だった。シチリア王国の初代王ルッジェーロ2世の時代のこと。
現在の外観があまりにもノルマン的でないため、ずっとこのことに気づかなかった。ナポリに滞在しようと決め、いろいろ観光情報を調べていて、初めてわかったのだから情けない。
むやみにマニアック路線ばかりを走ってばかりいると、普通に誰もが知っているような情報に疎くなってしまうのかも。
これまたすっかり忘れていた。かの有名なナポリの卵城のことを。
この城はあまりにもメジャー過ぎて、自分が行くべき場所ではないと思い込んでいた(笑)。
実際、行ってみると見学客でごった返しており、私がよく行く「城」にしてはやけに賑やか。どうも調子が出ない。
しかし、ここも12世紀のノルマン期に建造された城だった。シチリア王国の初代王ルッジェーロ2世の時代のこと。
現在の外観があまりにもノルマン的でないため、ずっとこのことに気づかなかった。ナポリに滞在しようと決め、いろいろ観光情報を調べていて、初めてわかったのだから情けない。
むやみにマニアック路線ばかりを走ってばかりいると、普通に誰もが知っているような情報に疎くなってしまうのかも。
【後】ナポリ大学の正式名称 ― 2012年05月04日 22:01
(2012年1月8日:Napoli)
ナポリ大学(写真)の正式名称は"Universita` degli Studi di Napoli Federico Ⅱ"だ。
この大学は、1224年6月5日、フェデリーコ2世によって創設された。だからこうして、フェデリーコの名を誇らしげに、大学の正式名称に組み込んでいるのである。
私がこの"名称"のことを初めて知ったのは、イタリアのレストランで、ミネラル・ウォーターのボトルを眺めていたときのこと。
ラベルに記載されている水の成分表の欄で、"FedericoⅡ"の文字が目に留まった。
ミネラル・ウォーターのボトルには、どんなミネラルが含まれているかの成分表が表示されているが、その分析をした研究機関の名称も記されていることがある。ナポリ大学が水の分析を担当した場合には、当然、フェデリーコの名がペットボトルの記載に登場するというわけである。
ボローニャやパリなど、代表的なヨーロッパの古い大学が学生ギルドによって創設されているのに対し、南イタリアでは、大学が君主フェデリーコによって創設されている。
数百年もの歴史を誇る大学の名称に、君主の名を刻み込んでいるのは、たぶんここだけだろう。
ナポリ大学(写真)の正式名称は"Universita` degli Studi di Napoli Federico Ⅱ"だ。
この大学は、1224年6月5日、フェデリーコ2世によって創設された。だからこうして、フェデリーコの名を誇らしげに、大学の正式名称に組み込んでいるのである。
私がこの"名称"のことを初めて知ったのは、イタリアのレストランで、ミネラル・ウォーターのボトルを眺めていたときのこと。
ラベルに記載されている水の成分表の欄で、"FedericoⅡ"の文字が目に留まった。
ミネラル・ウォーターのボトルには、どんなミネラルが含まれているかの成分表が表示されているが、その分析をした研究機関の名称も記されていることがある。ナポリ大学が水の分析を担当した場合には、当然、フェデリーコの名がペットボトルの記載に登場するというわけである。
ボローニャやパリなど、代表的なヨーロッパの古い大学が学生ギルドによって創設されているのに対し、南イタリアでは、大学が君主フェデリーコによって創設されている。
数百年もの歴史を誇る大学の名称に、君主の名を刻み込んでいるのは、たぶんここだけだろう。
【後】カメリエレの作品 ― 2012年05月03日 00:23
(2012月1月7日:Napoli)
この写真は私が撮ったものではない。
ナポリのとあるトラットリアで、夕食をとっていたときのこと。
いつものように、私のテーブルを担当しているカメリエレに、料理の写真を撮ってもいいかと尋ね、許可をもらった。それで、堂々とテーブルの上にカメラを置き、料理が来る度に写真を撮っていた。
すると、そのカメリエレが、カメラが大好きだから、私のカメラを少し使わせてくれと言ってきた。
頼まれたその時点で、私のカメラは、すでに彼の手の中にあった。カメラをぐるぐる回転させながら、あらゆる角度からなめ回すように観察している。カメラに向けられたその視線の鋭さに圧倒され、断る気にもなれず「どうぞ」と返事した。
そのカメリエレがまた戻ってくるまで、15分以上かかった。道端で、そのカメラが"現金化"されている可能性について私が少し考え始めた頃、彼がカメラを持って戻ってきた。
そして、彼が手際よく「再生」ボタンを押し、彼が撮ってきた写真を見せてくれた。この写真はその中の一枚である。
ほかに、厨房で働いている何人ものオッサンたちが、ポーズをとっている写真が何枚かあった。
直接許可を取っていないのでアップできないけれど、これらの写真が秀逸。シャッターを切るタイミングが絶妙で、働くオッサンたちが生き生きと描写されていた。しかも、ピントがしっかりしているし、手ぶれも抑えられている。
私のようにカメラは好きだけれど雑に写真を撮っている、というわけではなく、キチンと写真をやっている。
さすがは芸術の国イタリアであった。
この写真は私が撮ったものではない。
ナポリのとあるトラットリアで、夕食をとっていたときのこと。
いつものように、私のテーブルを担当しているカメリエレに、料理の写真を撮ってもいいかと尋ね、許可をもらった。それで、堂々とテーブルの上にカメラを置き、料理が来る度に写真を撮っていた。
すると、そのカメリエレが、カメラが大好きだから、私のカメラを少し使わせてくれと言ってきた。
頼まれたその時点で、私のカメラは、すでに彼の手の中にあった。カメラをぐるぐる回転させながら、あらゆる角度からなめ回すように観察している。カメラに向けられたその視線の鋭さに圧倒され、断る気にもなれず「どうぞ」と返事した。
そのカメリエレがまた戻ってくるまで、15分以上かかった。道端で、そのカメラが"現金化"されている可能性について私が少し考え始めた頃、彼がカメラを持って戻ってきた。
そして、彼が手際よく「再生」ボタンを押し、彼が撮ってきた写真を見せてくれた。この写真はその中の一枚である。
ほかに、厨房で働いている何人ものオッサンたちが、ポーズをとっている写真が何枚かあった。
直接許可を取っていないのでアップできないけれど、これらの写真が秀逸。シャッターを切るタイミングが絶妙で、働くオッサンたちが生き生きと描写されていた。しかも、ピントがしっかりしているし、手ぶれも抑えられている。
私のようにカメラは好きだけれど雑に写真を撮っている、というわけではなく、キチンと写真をやっている。
さすがは芸術の国イタリアであった。
【後】説明書きのない石棺 ― 2012年04月30日 21:26
(2012年1月7日:Napoli)
ナポリという街は、飛行機から鉄道へ、鉄道から船へという乗り換えをしたことが何度かあるものの、街の観光をしたのは今回が初めてだった。
今回、ナポリを訪ねようと思った最大の理由は国立考古学博物館の存在。だが、この博物館が誇るギリシャ・ローマ時代の大理石彫刻たちにはあまり興味がなく、その時代の所蔵品の中で観たいと思ったのはアレキサンダー大王が描かれたモザイク画くらい。
私にとっての最大のお目当ては、シチリア大伯ルッジェーロ1世の石棺であった(写真)。
ルッジェーロは、ロベルト・ギスカルドの弟として、片腕として、ともに中世の南イタリアを征服し、ロベルトの死後はその遺産を引き継ぎ、シチリア王国の礎を築いた英雄である。
ところが、この石棺を見つけるのに四苦八苦し、これこそがルッジェーロの石棺だと確信するまでに非常に時間がかかった。
1階に多数の石棺が並べられていたのだが、この石棺については全く説明書きがなかったのである。
この石棺は、ルッジェーロ1世の本拠地であったミレートの街から発掘され、わざわざナポリに運ばれて、この博物館に展示されたものである。
だから、博物館に行き、順路通りに歩いていれば、いつかはこの石棺が観られるに違いないと思っていた。しかし、一通り館内を観て廻ったのだが、それらしき展示物に出会うことなく出口に到着してしまった。
その後、見学のための順路とは外れたところ、中庭を巡る通路に多数の石棺があることに気づき、そちらに移動。
ところが、説明書きのある石棺を全部チェックしたのだが、ルッジェーロのものが見あたらない。
この石棺に関しては、以前、何かの書籍か資料に掲載されていた写真を観たことがあった。その記憶を頼りに、通路を何周もしながら一つ一つの石棺を観て廻った。
その結果、どうもコレに違いないとの結論に達し、シャッターを切ったのがこの写真である。
まあこの博物館に展示されている名品の数々に比べると、「作品」としての価値は微妙である。だから、"大物"の石棺とはいえ、これを端っこに追いやり、説明すら付けないというのも理解できなくはない。
けれど、こんな扱いがされるのなら、ミレートの博物館に戻してあげてはどうかと思ってしまう。
* ミレートを訪ねた5年前の記事は↓
http://ike.asablo.jp/blog/2006/08/28/501678
ナポリという街は、飛行機から鉄道へ、鉄道から船へという乗り換えをしたことが何度かあるものの、街の観光をしたのは今回が初めてだった。
今回、ナポリを訪ねようと思った最大の理由は国立考古学博物館の存在。だが、この博物館が誇るギリシャ・ローマ時代の大理石彫刻たちにはあまり興味がなく、その時代の所蔵品の中で観たいと思ったのはアレキサンダー大王が描かれたモザイク画くらい。
私にとっての最大のお目当ては、シチリア大伯ルッジェーロ1世の石棺であった(写真)。
ルッジェーロは、ロベルト・ギスカルドの弟として、片腕として、ともに中世の南イタリアを征服し、ロベルトの死後はその遺産を引き継ぎ、シチリア王国の礎を築いた英雄である。
ところが、この石棺を見つけるのに四苦八苦し、これこそがルッジェーロの石棺だと確信するまでに非常に時間がかかった。
1階に多数の石棺が並べられていたのだが、この石棺については全く説明書きがなかったのである。
この石棺は、ルッジェーロ1世の本拠地であったミレートの街から発掘され、わざわざナポリに運ばれて、この博物館に展示されたものである。
だから、博物館に行き、順路通りに歩いていれば、いつかはこの石棺が観られるに違いないと思っていた。しかし、一通り館内を観て廻ったのだが、それらしき展示物に出会うことなく出口に到着してしまった。
その後、見学のための順路とは外れたところ、中庭を巡る通路に多数の石棺があることに気づき、そちらに移動。
ところが、説明書きのある石棺を全部チェックしたのだが、ルッジェーロのものが見あたらない。
この石棺に関しては、以前、何かの書籍か資料に掲載されていた写真を観たことがあった。その記憶を頼りに、通路を何周もしながら一つ一つの石棺を観て廻った。
その結果、どうもコレに違いないとの結論に達し、シャッターを切ったのがこの写真である。
まあこの博物館に展示されている名品の数々に比べると、「作品」としての価値は微妙である。だから、"大物"の石棺とはいえ、これを端っこに追いやり、説明すら付けないというのも理解できなくはない。
けれど、こんな扱いがされるのなら、ミレートの博物館に戻してあげてはどうかと思ってしまう。
* ミレートを訪ねた5年前の記事は↓
http://ike.asablo.jp/blog/2006/08/28/501678
【後】『紅の豚』がカッコイイのは・・・ ― 2012年04月28日 00:34
ジブリのアニメ『紅の豚』といえば、「飛べない豚はただの豚だ」等々の名言にあふれた作品として有名だけれど、先日のTV放映を観ていて、こんなセリフが仕込まれていることに気がついた。
「ぼってるんじゃねえ 持ちつ持たれつなんだよ」
これは、おそらくはアドリア海の東、ダルマチアと思われる沿岸部で、豚のポルコが飛行機の給油をする場面でのセリフ。
ミラノ生まれの少女フィオが、イタリアの3倍もするガソリン代の請求に立腹し、メチャクチャだと言うのに対し、ポルコは「払ってやれよ」と返す。そして付け加えたのがこのセリフだった。
ポルコによれば「海も陸も見かけはいいがな この辺りはスッカラカンなのさ」とのこと。
「持ちつ持たれつ」なんだし、3倍くらいのガソリン代はまあいいじゃないかと、そう言って若いフィオを諭しているわけである。
この作品は何度か観ているはずだが、今回初めて、このセリフのところでハッとした。
これは、今年の正月のイタリアの旅で、この「ぼってるんじゃねえ」という感覚が少しだけ分かったからだろうと思う。例えばメーターなしのタクシーの料金設定は、どこかぼったくりの匂いはするけれど、決して不公正ではないと感じられるようになったのである。
今までは、むしろフィオの感覚に近く、この種の不透明な料金設定に憤りを感じていたのだが、今回はポルコの感覚に近い状態で作品を観ることができたのだろう。作品に共感できる何かを自分がもっていないと、こんな名言も聞き流してしまう、ということにも気づかされた。
確かに、ぼったくりはよくない。だが、相場からみて割高の料金設定の全てが暴利を貪る悪とは限らない。そうしなければ生活が成り立たないのだとしたら、市場というものが"彼ら"に強いる「適正な相場」の方が悪いのではないだろうか。
逆に、消費者に格安の商品やサービスを提供してくれる商売人が善とは限らない。その裏で、従業員に過酷な労働を強いたり、仕入れ先などに不当な価格を強要しているカイシャなんて、山ほどあるのだから。
「カッコイイとは、こういうことさ」
という名言も、こうしてみると、今までとは違って聞こえてくる。
【後】ユーロスターの座席指定 ― 2012年04月10日 23:33
(2012月1月7日:Lamezia-Napoli)
1月7日は、NicastroからタクシーでLamezia Termeの中央駅に向かい、そこからナポリまで鉄道で移動。
ユーロスターという特急を利用した。
さて、列車に乗り込むと、私の指定席(窓際の51番)に座ってるおばさんがいる。声をかけてみると、あなたの席は、あたなの後ろ側だ(通路側49番)とおっしゃる。明らかに座席番号が違っているのだが、その車両の中で空いてる席はその1席しかなく、とりあえずその席に座って様子をみることにした。
すると案の定、次の駅で乗り込んで来た2人組の客が、私が座っていた座席49番のチケットをもっているという。
やっぱりね。というわけで、私が指定をとった51番の席に座っているおばさんに、そこが私の席では?と言うと、そのおばさんが何やらあちこちの人に指示を出し始めた。
おばさんの斜め前に座っている人をどかし(この人はどこかへ消えてしまった)、その席に、通路を挟んだ反対側の通路側に座っていた人を移動させ、さらにその隣の窓際の人をどかし(この人もどこかへ消えてしまった)、そこに私を座らせ、最終的に空いた2つの席に新たに現れた2人組を座らせ・・・、というところで一件落着となった。だが、その付近の8席に関していえば、指定通りの"正しい"席に着いていたのは、3人くらいだと思う。
どうも、その司令塔となっていたおばさんは、お友達(座席50番)と一緒に指定席をとったのに、離れた席(48番)が指定されてしまい、「自主的な指定変更」を実施し、お友達の隣の席(51番)に移動していたらしい。そこが私の正規の指定席だった。それで、彼女の正規の指定席に私が座ることができれば単純な1対1の座席交換で済んだはずなのだが、問題の背景は複雑であった。私が乗り込んだとき、おばさんの本来の指定席(48番)には別の人が座っていた。この人の本来の指定席はその真向かいの席だった。ところが、そこには座席指定を受けていない人が勝手に座っており、48番にやむなく移動していたのである。
さらに、もう一人指定席のチケットをもっていない人が付近に座っており、複雑な指定席の交換と玉突きが生じていたのだった。
とうわけで、おばさんは指定席のチケットをもっていない2人には去るよう命じ、指定がとってある人には空いた席にそれぞれ座るように命じ、そうやって自らはお友達の隣の席を確保しつつ、自分たちは全く移動せずに済ませていたというわけである。
その後、車掌が検札にやってきたけれど、ほとんどの人が"正しい"席に座っていないことについて、全く問題にならなかったことは言うまでもない。
1月7日は、NicastroからタクシーでLamezia Termeの中央駅に向かい、そこからナポリまで鉄道で移動。
ユーロスターという特急を利用した。
さて、列車に乗り込むと、私の指定席(窓際の51番)に座ってるおばさんがいる。声をかけてみると、あなたの席は、あたなの後ろ側だ(通路側49番)とおっしゃる。明らかに座席番号が違っているのだが、その車両の中で空いてる席はその1席しかなく、とりあえずその席に座って様子をみることにした。
すると案の定、次の駅で乗り込んで来た2人組の客が、私が座っていた座席49番のチケットをもっているという。
やっぱりね。というわけで、私が指定をとった51番の席に座っているおばさんに、そこが私の席では?と言うと、そのおばさんが何やらあちこちの人に指示を出し始めた。
おばさんの斜め前に座っている人をどかし(この人はどこかへ消えてしまった)、その席に、通路を挟んだ反対側の通路側に座っていた人を移動させ、さらにその隣の窓際の人をどかし(この人もどこかへ消えてしまった)、そこに私を座らせ、最終的に空いた2つの席に新たに現れた2人組を座らせ・・・、というところで一件落着となった。だが、その付近の8席に関していえば、指定通りの"正しい"席に着いていたのは、3人くらいだと思う。
どうも、その司令塔となっていたおばさんは、お友達(座席50番)と一緒に指定席をとったのに、離れた席(48番)が指定されてしまい、「自主的な指定変更」を実施し、お友達の隣の席(51番)に移動していたらしい。そこが私の正規の指定席だった。それで、彼女の正規の指定席に私が座ることができれば単純な1対1の座席交換で済んだはずなのだが、問題の背景は複雑であった。私が乗り込んだとき、おばさんの本来の指定席(48番)には別の人が座っていた。この人の本来の指定席はその真向かいの席だった。ところが、そこには座席指定を受けていない人が勝手に座っており、48番にやむなく移動していたのである。
さらに、もう一人指定席のチケットをもっていない人が付近に座っており、複雑な指定席の交換と玉突きが生じていたのだった。
とうわけで、おばさんは指定席のチケットをもっていない2人には去るよう命じ、指定がとってある人には空いた席にそれぞれ座るように命じ、そうやって自らはお友達の隣の席を確保しつつ、自分たちは全く移動せずに済ませていたというわけである。
その後、車掌が検札にやってきたけれど、ほとんどの人が"正しい"席に座っていないことについて、全く問題にならなかったことは言うまでもない。
【後】レッジョのトラットリア ― 2012年04月06日 22:56
(2012月1月5日:Reggio di Calabria)
レッジョでは中央駅近くのホテルをとったのだが、夕食をゆっくりとれるような店が見つからずに苦労した。ドゥオモ近辺でも、見つかるのは切り売りピザなどのファストフード系ばかり。
ガイドブックをみても、紹介されているのは街のずっと北の方ばかりで、リド駅の近くのものしか載っていない。当初は仕方なくホテルのレストランで食事をとったのだけれど、案の定、残念な感じになってしまった。
そんな中、3晩目でようやく見つけたのが写真の店だった。ドゥオモより東側に坂道を登ったあたり。まだ明るいうちの散策で見つけた店で、まだ開店前の外観だけで一目惚れ。今夜はここしかないと決めた。
この店では、グラスでイタリア各地のワインが頼める。一杯6~9ユーロくらい。
私は、カラブリア産の☆印が付いてたやつを頼んでみた。一口目、強烈な渋みだけが口いっぱいに広がって「何だこりゃ?」と思った。が、その直後にガツンという旨みが来た。
何とも荒々しい感じだったけれど、久しぶりにちゃんとしたワインを飲ませてもらった気がする。
私は酒飲みの割にワインに対するこだわりがなく、ひたすらテキトーに飲んでいるだけなのだが、なるほどこういう体験が積み重なると、だんだん「その道」に嵌って行くのかもしれないと思った。個性の強い南のワインを発掘していったら、さぞかし楽しかろうと。
それと、絶品だったのが、写真の子羊の焼き物である。
子羊は私の大好物だけれど、実はその独特の臭みは苦手。とくに臭み強い脂身にあたってしまうと悲惨なことになる。けれど、この皿は肉が新鮮で、脂身も大変おいしかった。
そして、何といっても上に載っている串焼きがすばらしかった。抜群の香ばしさと絶妙な歯ごたえがある。
できることなら、次回はあのワインをボトルで頼んで、その串焼きだけを10本は頼みたい(それを依頼するには、もっとイタリア語を習得する必要があるが)。もしそれがご近所の焼鳥屋であったらなら、毎日でも通いたい。
ちなみに、その店のお隣はB&Bの入り口になっていた。次回(がもしあれば)は、そのB&Bに宿をとり、毎日串焼きを食べようと目論んでいる。
レッジョでは中央駅近くのホテルをとったのだが、夕食をゆっくりとれるような店が見つからずに苦労した。ドゥオモ近辺でも、見つかるのは切り売りピザなどのファストフード系ばかり。
ガイドブックをみても、紹介されているのは街のずっと北の方ばかりで、リド駅の近くのものしか載っていない。当初は仕方なくホテルのレストランで食事をとったのだけれど、案の定、残念な感じになってしまった。
そんな中、3晩目でようやく見つけたのが写真の店だった。ドゥオモより東側に坂道を登ったあたり。まだ明るいうちの散策で見つけた店で、まだ開店前の外観だけで一目惚れ。今夜はここしかないと決めた。
この店では、グラスでイタリア各地のワインが頼める。一杯6~9ユーロくらい。
私は、カラブリア産の☆印が付いてたやつを頼んでみた。一口目、強烈な渋みだけが口いっぱいに広がって「何だこりゃ?」と思った。が、その直後にガツンという旨みが来た。
何とも荒々しい感じだったけれど、久しぶりにちゃんとしたワインを飲ませてもらった気がする。
私は酒飲みの割にワインに対するこだわりがなく、ひたすらテキトーに飲んでいるだけなのだが、なるほどこういう体験が積み重なると、だんだん「その道」に嵌って行くのかもしれないと思った。個性の強い南のワインを発掘していったら、さぞかし楽しかろうと。
それと、絶品だったのが、写真の子羊の焼き物である。
子羊は私の大好物だけれど、実はその独特の臭みは苦手。とくに臭み強い脂身にあたってしまうと悲惨なことになる。けれど、この皿は肉が新鮮で、脂身も大変おいしかった。
そして、何といっても上に載っている串焼きがすばらしかった。抜群の香ばしさと絶妙な歯ごたえがある。
できることなら、次回はあのワインをボトルで頼んで、その串焼きだけを10本は頼みたい(それを依頼するには、もっとイタリア語を習得する必要があるが)。もしそれがご近所の焼鳥屋であったらなら、毎日でも通いたい。
ちなみに、その店のお隣はB&Bの入り口になっていた。次回(がもしあれば)は、そのB&Bに宿をとり、毎日串焼きを食べようと目論んでいる。
【後】連携プレー? ― 2012年03月26日 22:03
(2012月1月4日:Vibo Valentia)
Vibo Valentiaという街は、鉄道駅(Vibo-Pizzo)からかなり離れており、しかも高台にある。歩くのは端から無理とわかっていたため、バスの時刻表をネットで事前に調べておいた。
列車を降りると、さっそく駅のBarへ向かった。そこでバスの切符を売っているに違いないと思ったからだ。
ところが、バスの切符はありますかと尋ねると、Barのおばさんが首を振る。バスなら100メートル上だとのこと。
礼を言って坂道を100メートルほど上がってみると、街道沿いに一軒家のBarが建っているのが見えた。なるほどここか、と思ったのだが、近づいてみると店内の明かりが点いておらず閉店中の様子。かといって、周囲には店舗のような建物はない。
仕方なく、しばらく街道を行ったり来たりしながらバス停らしきものを探してみたのだが、バス停の標識も見あたらない。
どうしたものかと、その街道沿いのBarに戻ってみると、店のドアあたりにお店の人らしき姿があった。急いで声をかけてみたところ、街道に停めてあった普通の乗用車に案内された。街まで15ユーロとのこと。
で、城まで15ユーロで連れて行ってもらった。バスのことはいろいろ聞いてみたのだが、結局、何だかよくわからない答えばかりだった。
さて城の観光を終えると、街を貫く真っ直ぐな道(写真)を下ってみた。この道は、フェデリーコ2世が城と街を再建した頃から存在するらしい。
道を歩きながら、駅まで戻るためのバス停を探したのだが、なかなか見つからなかった。バス停だけでなく、走っているバスすら見つけられない。
ならばタクシーを拾おうと、とある広場で「TAXI」の看板をみつけ、しばらく待ってはみたものの、看板の周囲には普通の乗用車が駐車されていて、タクシーが来る気配も全くなかった。
それで、旅行会社のオフィスに入り、バスの切符を買いたいと言ってみた。すると、広場の隅にあるタバッキに行けと言われ、そのタバッキでバスの切符を買い、バス停も場所も教えてもらった。
そのバス停に着くと、そのバス停前に車を停め(なぜかバス停に向かって縦に停めていて、ものすごく邪魔)、携帯で話中のオッサンがいた。何だかエライ剣幕で携帯に向かって叫んでる。
ところが、私の姿を見るや否や、携帯を切ってこっちに駆け寄ってきた。何となく面倒くさい予感がしたが、その予想通りの面倒くさい相手だった。いきなり20ユーロだと言って、私の背中に腕をまわして車に乗れとおっしゃる。
来るときの登り坂で15ユーロだったため、高過ぎるから10ユーロにしてくれとゴネてはみたのだが、普通は25ユーロのところ、本日限りの20ユーロへのディスカウントなのだと仰る。
そうやっていても定刻をだいぶ過ぎてもバスが来る気配はなく、結局20ユーロで駅まで連れて行ってもらった。段ボールの板を車のシートに置き、座布団がわりにしているユニークなオッサンだった。
こうしてタクシーじゃない車を有料利用することになった一連の流れを振り返ってみると、私は"必然的に"利用することになった気がする。彼らが、私が現れるであろう場所(Barやバス停)を事前に知っており、そこで待ち構えていたような気がしてならない。
つまりは、こういうシステムではないかと思うのである。私がバスに乗ろうとしていろんな人に切符売り場やバス停の場所を尋ねる。そうすると、私が尋ねた相手の誰か、またはその周囲で会話を聞いていた人が彼らに連絡し、車をまわして待っていてくれる・・・。
四半世紀前にイタリアを初めて旅していた頃の私なら、きっと腹を立てていたと思う。
でも今は、旅人に不便をかけないための便利なネットワークだと思えてしまうから不思議だ。
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