たぶんブラインドは一年中閉め切ったまま2015年06月17日 23:22

企業や官庁での個人情報流出について、データ管理やウィルス対策がずさんで許せないと主張しているメディア企業とか、データ流出被害を受けた企業を相手に訴訟を起こしている弁護士事務所とかでは、私は絶対に働きたくない。
だって、そうでしょう。そんなメディアや弁護士たちが、「万全の対策が必要だ」と言うからには、自ら必ず実行していると思われる対策なんて、想像しただけでイヤになりますもの。

携帯電話、個人用PC、デジカメの職場への持ち込みは禁止。
MicroSDメモリーとかにコピーしてデータを外部に持ち出したりしてないか調べるため、念入りな身体検査が毎日ある。
個人情報を含むすべてのファイルにはパスワードがかけられており、頻繁に変更されるから覚えるのが大変。
メールのやり取りに使うPCと、インターネット接続のない事務作業用PCとが完全に別々になっているので、仕事がはかどらない。
ネット接続のあるPCと作業用PCとの間で個人情報ファイルを移動して作業するときは、上司の許可とチェックを受けなければならず、作業後も適切にファイル消去がされたかの上司チェックがある(今日は上司が出張なんだけど、どうしましょ)。
うっかり個人情報をメールで誰かに送信したりしないように、メール送信には他の社員が必ず立ち会ってダブルチェックすることになっている。
居酒屋で顧客の名前をうっかり口にしてしまったら、始末書を書かなければならない・・・とか、いろんな規則があってわけがわからない。

メールを受信したら、まず題名や送信者名を確認し、マルメールかどうかを判断しなければならない。
例えば覚えのない送信者からのメールを発見したら、もう大変。怪しいので即LANケーブルを引っこ抜き、ネット切断! すべての支局、支店、営業所、出張所とかに有線電話で連絡し(当然ですが、メールやIP電話では連絡できません。)、速やかなるネット切断を要請! 
専門業者を有線電話で呼んで(・・・あ、課長! 携帯は止めて有線電話で呼んでください。ここで携帯を使ったりすると、後で大問題になりますよ!)、ウィルスチェック開始! はい、今日〆切の仕事は全部、間に合いません!

何よりも、ウィルス感染メールの疑いありと報告したものの、実は何でもなかったとわかったときの同僚から受ける冷たい視線が一番きつそう。

〔後〕友よ 寛大なる者よ2013年05月07日 01:16

 
ヤッファ条約へとつながるアル・カーミルとフェデリーコの信頼関係は、フェデリーコが十字軍に出発する前から築かれていたらしい。
アル・カーミルは、皇帝として十字軍を率いるであろうフェデリーコに関心をもち、ファクルッディーンという外交官をパレルモに送った。フェデリーコが流暢なアラビア語を話し、先進的なイスラム文化を深く理解していることに驚嘆したファクルッディーンは、アル・カーミルに対し、フェデリーコが普通の王様でないことを報告する。
そして、この外交官を通じ、アル・カーミルとフェデリーコとの友情が発展していった。当初は、論理学や天文学といった学問に関する書簡の往復があり(これもアラビア語で行われたらしい)、アル・カーミルからは珍しい動物や天文観測儀がフェデリーコに贈られた。

この事前の書簡のやりとりを通して、フェデリーコは、軍事力によらず、交渉でエルサレムの奪還を実現できると踏んでいたようだ。
アル・カーミルとしては、その頃、エルサレムが仲の悪い弟のアル・ムアッザムの支配下にあったため、むしろ友人であるフェデリーコにエルサレムを占領してもらった方がよいと判断していたとも言われている。
フェデリーコは、それなりの見通しがあったため、身辺警護のための最小限度の軍隊しか現地に連れて行かなかったわけである。その意味では、ヤッファ条約による和平は、相互の利害がたまたま一致したために生まれたものでともいえる。

アル・カーミルもフェデリーコも、「聖地」を特別扱いせず、合理的な損得勘定で動いていたわけで、平和主義の思想に基づいてヤッファ条約を結んだわけではない。おそらくは、この方々が最も忌み嫌ったのは、その種の「主義」がもたらす馬鹿馬鹿しい争いごとだったのではないだろうか。
そんな二人の感覚は、キリスト教世界からもイスラム世界からも理解されなかった。

ちなみに、エルサレムのダビデの塔は、エルサレムの歴史を辿ることのできる博物館になっているけれど、フェデリーコのことには全く触れられていなかった。

イタリア半島部のプーリアで死んだフェデリーコの遺体はパレルモに運ばれ、大聖堂に葬られた。
埋葬された際に彼が身につけていたシャツの袖には、次のような言葉がアラビア語で刺繍されており、これはアル・カーミルへ宛てたものだと言われている。なぜアル・カーミルへのものなのか、その根拠はよくわからないが(友達がほかにはいなかったからだろうか)、本当だとしたら、泣ける話である。

 友よ 寛大なる者よ
 誠実なる者よ 富める者よ
 勝利者よ

〔後〕ヤッファ条約2013年04月27日 01:14

 
今回の「フェデリーコツアー・イスラエル編」で、最も重要な訪問地はヤッファ(Old Yaffo / Tel Aviv)だった。
なお、訪問当日の記事はこちら↓
http://ike.asablo.jp/blog/2012/12/27/6672804

1228年9月、十字軍を率いてアッコンに到着したフェデリーコは、アイユーブ朝のスルタンであるアル・カーミルとの交渉を進めた。
1229年2月11日、ヤッファにおいてフェデリーコとアル・カーミル間で平和条約が結ばれ、2月18日に発効。3月17日にはフェデリーコが聖地エルサレムに入った。

この条約の内容は、エルサレムをキリスト教徒とイスラム教徒とで共同統治しようというもの。
神殿の丘のイスラムの聖地はイスラム教徒が管理することになり、それ以外の旧市街はキリスト教徒側に引き渡されることになった。ただし、10年間の期限付きであった。
十字軍の歴史の中で、ヨーロッパ側がエルサレムの奪還に成功したのは第1回十字軍と、このヤッファ条約によったフェデリーコの十字軍のみだ。

実は、平和条約を結んでエルサレムをヨーロッパ側に、という話はその10年前にもあった。
アル・カーミルは、1219年、本拠地エジプトを攻められた際にもエルサレムとパレスチナを譲ると提案していた。だが、聖戦にこだわったヨーロッパ側がその提案を拒否していた。
結局、戦闘続行となり、反撃に出たアル・カーミルはヨーロッパ側の海軍を壊滅させる。そのうえでアル・カーミルは、ヨーロッパ側に30年の休戦条約を提案した。しかし、またもヨーロッパ側が休戦を拒否。
最終的にはアル・カーミルが完勝してしまったため、そんなこんなで、エルサレムの引き渡しの話は立ち消えになった。

アル・カーミルは、かの有名なクルドの英雄サラディンの甥にあたる。しかし、伯父がイスラム世界をまとめた「聖戦」というイデオロギーには染まってはいなかったようだ。
フェデリーコもそうなのだが、このスルタンも宗教的なこだわりがない聡明な人物だった。この二人の組み合わせだったからこそ実現できた聖地の和平といえるのだろう。

そのせいだろうか、このヤッファ条約は、当時の人々には理解しがたい暴挙にみえたようである。フェデリーコはキリスト教世界の世論から聖戦になってないと非難され、アル・カーミルはイスラム世界の世論から裏切りだと非難された。

まあ現代においても、領土問題に妥協などあってはならないというのが「世論」なのだから、今も昔も変わっていないとも言える。
まして、「もっと強く言う」とか「粘り強く説得する」とかすれば軍事力なしで解決できるのだという、中高生の弁論大会レベルの「世論」が有力な国もあるわけだから、私たちは少しも進歩していないのかも知れない。

写真はエルサレムのコットンマーケット。
ヤッファ条約による10年の和平によって経済活動が活発化し、生まれた市場だそうだ。

"Escape from Freedom, NIPPON 2011"2011年07月13日 23:01

東京・新橋あたりの居酒屋では今もなお、エーリッヒ・フロム著『自由からの逃走』("Escape from Freedom, New York")は、常連さんのオジサンさんたちによって、こんな風に説明されているのだろうか。
「自由を与えられた人間は、その自由を持て余して不安にかられ、その自由から逃げ出してしまう。過度に自由を与えることは、かえってその人のためにならない。自由という奴は、実はとても面倒くさいもので、人間はむしろ、束縛されていた方が幸せなのだ・・・。」

酔っぱらいのオジサンたちは、青春時代に夢見た自由な未来(たぶんマルクスとかが約束してくれていた社会)と、遙かなる旅を果たせなかった敗北感を抱えつつ、この書物のタイトルをじっと見つめ、そしてその意味を(中身は読まずに)"想像"する・・・オッサン自らの愛に満ち溢れた助言を理解しようせず、それを理不尽な束縛としか受け止めない娘(「同級生の陽菜ちゃんのお父さんは私たちの気持ちが分かってくれて、ずっと素敵なのに」とか言うしね)への義憤を胸に、『自由からの逃走』について語り、私たちオジサンは二次会のさらなる深みへと嵌って行くのである。

しかし、フロム自身は、そのような「自由なんて、所詮はそんなもの」というニヒリズムを否定するために、この書物を書いたはずだった。
中世的な束縛(自らが生きるべき道筋が明確に強制されていた)から解放された近代人は、生きるための指標を失い、常に何をなすべきかについて悩み戸惑い、不安に苛まれることになったというのがフロムの分析だった。だから、そのかつては当たり前だった束縛と強制によって与えられていた安堵感を示されると、人々はそれに飛びつき、たやすく自由を放り投げてしまう。とくに危機的な状況に直面した人々は、その安堵感を追求し、ナチズムさえも肯定てしまう。そうした危うさをフロムは生々しく描いてみせたわけである。

それで、私たちオジサンは、「ああやっぱりね。だからこそ若者には規律と強制が必要なんだ。だから若者よ、息子よ、娘よ、部下たちよ! 幸せになりたいのなら私の言うことを聞きなさい!」と叫びたがる。けれど、フロム自身の問題意識は、その真逆だったと言える。

フロムは、ナチスの迫害を逃れてアメリカへと渡り、この書物を書いた。
ワイマール憲法という最も進んだ理想を掲げた文明国ドイツにおいて、なぜナチスは生まれ、人々の熱狂的な支持を得るに至ったのか、そのメカニズムを世に示し、ナチスによる悲劇の「再発防止」を願って、『自由からの逃走』という警告を発した・・・と私は理解しているのだが。

フロムの警告が、この2011年の危機的状況にあるニッポンにおいて、再現されることがないよう願うばかりである。
しかし、この手の分野を専門にしておられる先生方も、自由についてあれこれと語ることを専門にされている先生方も、何やらもっと手の込んだ難解な議論をするのに忙しく、結局は政治家や役人の責任の問題だという理屈をひねり出すことに頭がいっぱいだ。この問題の核心が実は、普通のオジサンの個々の考え方にかかっているのだということを、それが有権者一人一人の責任の問題なのだということを、誰も言おうとしない。市民が国民が生活者が自由を破壊するのだ、という恐怖について、誰も語ろうとはしない。

テレビや新聞などのマスメディアは、今や完全に、そのフロムが警告した「逃走」を始めてしまっている。その正義感ゆえに全速力で自由を蹴散らし、大きく腕を振りながら、自由を抹殺しようとする権力者と軍隊に声援を送っている。昭和の戦前のメディアがそうだったように・・・としか、私には思えない。

だから、ちょっとだけ”気の利いたオジサン”になるために、そのフロムの真意を若者たちに説教してみませんか、というのが私の提案である(とりあえず、言うことを聞かない息子や娘のことはさておき)。
「"普通のオジサン"は『自由からの逃走』を誤解しているけれど、本当はこうなんだぜ!」と言えるオジサンを目指してみませんか。

ユッケくらい自由に食わせろ!2011年07月10日 23:41

例の焼肉チェーン店での食中毒事件が起きた直後から、「罰則がなかったのが問題だ、ちゃんとした規制を怠ってきた国が悪い」という金切り声が連日のように聞こえるようになった。

・・・やれやれと思ってたら、その結果、"ちゃんとした規制"がされる見通しになったらしい。
おかげで生レバーの飲食店での提供は全面的に禁止され、もう口にすることは不可能になりそうだ。ユッケについても、生肉の表面加熱も義務づけられ、途方もないお金でも払わない限り、口にすることは難しくなるだろう。

ところで、「罰則がなかったから事故が起きた。」と叫んでいた方々は、何を根拠にそんなことを言い立てていたのだろう?
そもそも、飲食店で食中毒を起こすことは企業として致命傷になる。自分が血の滲む思いで育てた企業を一瞬にして潰してしまう。世間には、自らの人格を徹底的に否定するような非難が巻き起こる。たとえそれが理不尽なものであったとしても、決して反論することすら許されない針のむしろが待っている。どんな経営者も、そんな事例はいくつも見てきているはずだ。

これだけの強烈な罰が用意されているというのに「罰がないから事故が起きた」のですか???

彼らの頭の中は、「市民の良識なんてあてにならない」とか、「国家権力による強制と常時監視がなければ、民間企業はヒトを殺しかねない」という「民」に対する不信感でいっぱいなのだろうか。
彼らの「国は謝罪せよ!」とかいう"反権力"のポーズは単なる見せかけで、実は「罰則」とか「抜き打ち検査」とか「監視カメラ」とか、そんな国家権力の行使と「官」による徹底的な監視がとっても大好きなのだろうか。

もっと規制を!と叫んでいた人たちに言いたい。
次は、餅を売ることも、餅を製造することも、正月に餅を食べることも、みんな禁止するキャンペーンでもやるおつもりですか?
餅を喉に詰まらせ、亡くなるお年寄りは毎年大勢いる。「事故が起きてからでは遅い」と言い立てるあなたたちが、すでに何百、何千もの事故が起きている「餅」の禁止に踏み出すのではないかと、私はとっても不安です。
その次は、死亡事故を年に何千件も起こす自動車の販売禁止と走行禁止ですか? 毎回死者を出す諏訪大社の御柱祭りも禁止ですか? 絶対に沈没しない船ができるまで漁業もフェリーも釣り船も全面禁止になるのですか?

それと、反捕鯨団体の方にもひとこと言っておきたい。
今回の件で一つの食文化を殺すことになったとしても、私のように、それを疑問と思っている日本人はたくさんいる。
食文化を殺すことに熱心で、連日金切り声を上げていた人たちと、鯨を食べる日本の食文化に誇りをもっている私たちとを混同し、「食文化に対する誇りなんて、本当はないんだろう。その証拠に・・・」なんて具合に、一緒くたに批判しないで欲しい。

どうして人は、こんなにまで熱心になって、文化と自由を殺したがるのだろう。
なんで今の日本人は、反捕鯨団体を喜ばせるようなな"食文化抹殺"に熱心になれるのだろう。

でももし、そんな"殺意"はなかったと仰るなら、まだ間に合うのでは?
「国による強制はおかしい」とか何とか言ってくれませんか(いつもの調子で、お得意の"反権力"のポーズでやればよいわけだし)。
少なくとも私は、あなたに向かって「前に言っていたことと違うじゃないか!?」なんていう不毛な批判はいたしません。前言を改めたあなたの勇気をたたえることを約束します。

北風と太陽のお話 - グイッチャルディーニ風に2011年06月14日 23:45

被災者の方々への義援金の分配が遅れているそうだ。

そのことで、先日も今日も、ある報道関係の方々が、テレビの報道番組でこんなことを言っていた。
今は非常事態なのだから、赤十字や役所は平時と同じようなマジメさで義援金の受給資格を正確に確認する必要はないのではないか、必要書類を揃えられない人だっているのだし、ざっくりとした処置をどんどん進めた方がよいのではないか、二重支給や不正受給があっても仕方がないのではないか、という大変に有り難い優しいお言葉であった。

そこで、そんな心優しい人たちに提案したいことがある。心優しき人なら、次に書いたとおりの宣言(これは私自身の宣言だ)をして欲しいのである。どんなかたちであれ、ブログでもツイッターでもいいと思う。こんなことを言い続けて欲しいのである。


一、義援金を受給資格のない人に配るミスがあったとしても、たとえそれが100億円に達したとしても、日赤や役所の業務のやり方を非難したりはしません。
一、審査が杜撰だから簡単に義援金が受け取れると大々的に宣伝し、不正受給目当ての輩を全国から東北に呼び寄せるような真似は絶対にしません。
一、不正受給が発覚しても、それも仕方のないことだったと断言し、責任の所在を明らかにせよとか、再発防止策が必要だとか、そんな馬鹿げた評論は決してしないと約束します。
一、たとえ不法に義援金を受け取った奴が暴力団員だったとしても、議員や役人の親族だったとしても、決定的な証拠でも出て来ない限り、癒着があったとか、不正があったとかいう邪推は一切しません。
 だから安心して、とっとと素早く、ざっくりと配ってください!


単に「ざっくりでいいから迅速に」と注文をつけるだけでは、この問題を解決することはできないと思う。
なぜなら、本当にざっくりと配ろうものなら、不正受給案件の大量発生は避けられず、そのことが明るみになれば、そう言っていた人たちのさらなる注文に応えるために日赤と役所の仕事が増え、ますます遅々として配分は進まなくなるだろうからである。
「ざっくりと」という注文をつける人は、後に不正な義援金の分配が発覚しようものなら、さらなる注文をつけたがるものである。「迅速にやる必要があったのはわかるが、あまりにも杜撰すぎる。市民の善意を踏みにじるようなミスは絶対に許せない!」と言い出すのが常だ。とにかく国や役所に注文を突きつければ世の中が良くなるはずだという正義感に忠実であるため、自分が言ってきたこととの論理一貫性よりも、注文をつけて批判し続けるという一貫性の方に正義を見いだすからからである。

そして、その瞬間から役所全体が、謝罪会見の準備やら、再発防止策を検討するという名目で開かれる下らない会議やらに忙殺され、行政の無駄は途方もなく増大するのが現実だ。
役所の方々にはその生々しい現実が見えている。「ざっくりでいいから迅速に」と言われただけでは、安心してその通りに実行できるはずもない(その注文の空虚さを3秒で判断できるのがプロとしての役人なのである)。

だから今は、迅速に義援金を配るとしたら、"北風"のような注文はやめにして、"太陽"の暖かさで約束してあげることが必要なのだと思う。少なくとも私は、不正な分配があったとしても、配った側を非難しないと約束する、もし将来、再発防止策が必要なんて言い出す人がいたとしたら、微力ながら赤十字や役所を弁護すると宣言する。

「ざっくりでいいから迅速に」と言える心優しき人たちよ。私と同じように宣言して欲しい。
その優しさで役所の小さなミスを許し、虚偽申請なんてなかろうと人を信じる純真さで役人を信じ、もう一歩前に進んで発言してはくれないだろうか。

心やさしき人よ - グイッチャルディーニ風に2011年06月02日 23:00

このところのメディアには、今度の大災害の被災者の方々を気遣う言葉に溢れている。
誰よりも自分が一番優しく、弱い立場に置かれた人々の味方は自分なのだと言いたげに、被災者へ向けて「ほんとうに」という言葉を連発する。
「ほんとうに」は心配していないのではないか、という疑いを向けられることを、まるで、強烈に恐れているかのようである。

そして、そんな気遣いをする人々は決まって、政治家が悪い、役人が悪い、東電が悪いと金切り声を上げる。被災者の「ほんとうの」気持ちを代弁して差し上げようという、善意に満ちあふれている・・・かのようだ。

ただ、私はいつも、こう思っている。

ほんとうに心やさしき人は、世界の真の平和を願う人は、ほんとうに弱い立場の人たちのことを理解できる人というのは、被災者の苦しみを理解すると同時に、菅総理や東電の社長や霞ヶ関の役人たちの心が、実はズタズタにされていることが想像できて、心の底から、世間から糾弾されている人々のことを理解できる人のことを指すのだと。

権力への執着が悪い? 既得権益への執着が悪い?
私は、そんな執着とは無縁と思われている連中にこそ、警戒せよと言いたい。

世の中に深刻な害悪をもたらす本物の悪というのは、たやすくは悪とみなされることがなく、むしろ善とみなされている連中によってもたらされる。歴史は教えてくれる。わかりやすい悪は、少なくとも最悪であった試しはないのだということを。

フィレンツエのサヴォナローラのことを、同時代の民衆は自らの味方と信じ、最善の指導者と考えていたけれど、後世の評価はどうなんだろうか(私は個人的にはサヴォナローラもマキャベッリもグイッチャルディーニもみんな好きだけれど)。

メディアには、「あれもこれもそれもどれも、正しくなければ絶対に許さない!」と強烈に主張する原理主義者の言説が溢れ、そして、原理主義者的な政治家に支持が集まったりしている。
とくに、本物の国家的な責任を負わない地方政治の世界で、「市民的」な支持を得ることによって、原理主義者の政治家たちの勢いが増している。

けれど、こんな危機の時代には、その正しさは実現できそうもない、と冷徹に言ってのける役人的な現実主義を評価できる大人の評論ができなければ、さらなる危機を招き、破滅的なことが起きてしまう。

心やさしき人たちよ!
菅さんや東電社長の「言い訳」の中に、真実と真心が宿っていることに想いをめぐらせてくれないだろうか。

「市民」と市民になった人2009年08月10日 22:02

先週、初の裁判員参加の裁判が行われたのだが、この裁判の期間中、朝日新聞に連日掲載されていた主婦の方のコメントが非常におもしろかった。
この方は、候補者として呼び出されはしたものの、残念ながら裁判員には選任されなかった。だが、朝日新聞の記者から、抽選の列に並ぶアルバイト代を払って入手した貴重な傍聴券を、4日分も渡してもらえるという幸運に恵まれ(そうは書いてなかったけど、そうでなければ絶対に無理)、裁判のすべてを傍聴できた。そして、傍聴してのコメントが連日記事になったというわけである。

「市民に参加を求めるには、まだまだ情報が足りない印象」「『この手の事件はこのくらいだから』では、私たちが参加する意味がない」「私の『市民感覚』としては、強い違和感が残りました。」「どのように市民の感覚が生かされたのかも、判決理由からはよく見えない。」・・・

これは記者が勝手に書いたのではないかと訝しく思えるほどに、あまりにも模範解答でおもしろかった。
とくに、「市民に参加を求めるには・・・」というコメントはあまりにも「市民」的である。「市民」は、役所の「求め」に応じて、おそらくは権力のチェックのために「参加」をするのであって、決して権力者ではないのだから判決の主人公ではないという感覚である。
しかも、こうした感覚をもつ「市民」による批評が、制度をよりよく進歩させるのだという確信に溢れている。

一方、初の裁判員になった方々が、裁判を終えて記者会見に応じていたのだが、そちらのコメントには、かなり驚かされた。
あまりにも、つまらなかったからである。多少は予想はしていたものの、こうまで「市民」的なおもしろさが欠如してしまうとは驚きである。

裁判官が裁判員の意見を引き出そうという配慮していたとか、裁判官からは過去の判例にとらわれないで判断するようアドバイスがあったとか・・・終いには、「改善する点がないほど」に練られていた、なんてコメントまで出ていた。
まるで「市民」ではない裁判所の職員が語っているかのようで、何ともつまらない。
質問側に立っていた「市民代表」を自認される方々の、落胆ぶり・・・いや心配していたことがすべて杞憂でしかなかったことがわかった安堵感が、ひしひしと伝わってくるような記者会見であった。

この記者会見で、最もつまらなかったのは、予定外の休廷時間の直後、裁判員による質問が一つも出なかったことに関連しての質問と回答。
この場で質問側に立っていた方々は、ひどく心配していたのである。その休廷時間中に、裁判員による質問を牽制するような裁判官の言動があって、そのために裁判員たちは、沈黙を強いられたのではないか、と。
もしそうだったとすれば大変だ。「裁判官が質問を妨害」という大見出しを付けないといけない。

だが、当の裁判員自身の受け止め方は違っていた。
裁判員に質問できる余裕がないことを察知した裁判長が、休廷時間を設けることで、裁判員に一呼吸置いてもらい、質問をしやすくしようと配慮していた、と受け止めていたようだ。
質問をした方はさぞかし、拍子抜けしてしまったに違いない(そして安心されたことだろう)。

公に関わる責任を引き受け、本物の市民になった人は違う。
そのコメントは、何ともつまらない。