映画『別離』 ― 2012年06月09日 22:43
昨夜は、松本シネマセレクトで、イラン映画『別離』を観てきた。
http://www.betsuri.com/
何と言いますか、こんな映画だったような・・・
絡まった糸を解きほぐすには時間がかかる
たった一度限りの人生では、とても間に合わない
ならば、いっそのこと、糸を引き千切ってしまおうか
でも、それを神様が許して下さらないとしたら・・・
その先にある答えは見えず、なるほど、オマル・ハイヤーム先生の「ルバイヤート」の世界が待っているだけなのかも知れない。現代のイランではなおも、かの大先生が語ったペルシャ思想が生きているのだろうか。
いつまで一生をうぬぼれておれよう、
有る無しの論議になどふけっておれよう?
酒を飲め、こう悲しみの多い人生は
眠るか酔うかしてすごしたがよかろう!
オマル・ハイヤーム作/小川亮作訳『ルバイヤート』岩波文庫より。
というわけで、新しい飲み屋をみつけ、しこたま飲んだ挙げ句、土砂降りの中、歩いて帰ってきました。
・・・という、とてもいい映画でした。
【後】何も載っていないピザ ― 2012年06月14日 19:29
(2012年1月10日:Bovino)
Bovinoの街はとても小さい。夕食がまともにとれそうな店は、一軒くらいだった。
でも、その唯一のトラットリアは、幸いにして外観上は私好みの店だった。
開店直後、その店に入ってみると、まだ、店の奥の方の明かりが点いていなかった。おそらくはその晩の最初の客は私だったに違いない。
厨房から顔を出してくれたおばさんの案内で席に着くと、豪華なシャンデリアとテレビのスイッチが入れられた。
やがて、なかなかのイケメンが席にやってきた(F1ドライバーのフェルナンド・アロンソに似ている)。
何を飲みますか、何を食べますか・・・というご質問。イタリアの田舎でよくある店の儀式が始まった。紙に書いたメニューがなく、店にある食材を前提に、”打ち合わせ”をするというパターンである。
店側のスタンスは、一応、客の希望を聴くというものなのだが、それなりにお勧めがあり、希望通りにならないものもあり、打ち合わせをすればするほど、店側の術中にはまって行くのが常である。
とくに語学力に乏しい私などは、結局は言われた通りにするほかはなく、いっそのこと、最初からテキトーにやってくれと言ってしまった方がよかったのかも知れない。
かくして、前菜として生ハムとフレッシュチーズ、キノコと野菜の炒め、それと、第一の皿としてソーセージ入りのオレッキエッテが出てきた。
これらが私の真の希望に沿ったものかはさておき、アロンソ(勝手に名前を付けさせてもらった)が言っていたとおりのものが出てきた。いろいろ”打ち合わせ”をした結果、このようなものを注文することになったのである。
だが、この写真の皿が出てきたときは、「一体これは何?」と思った。
「ピザを頼んだ覚えはないのだが」という疑問、「いや待て、これはピザと言えるのか」という疑問、さらに「お代は幾らなのか、パンのかわりだからコペルト代に含まれるのか」という疑問等々が、すでにワインに含まれる魅惑の化学物質によって、かなり思考力の鈍った私の頭の中を駆け巡る。
そうは言っても、イタリア語で繰り広げられた”打ち合わせ”の内容を正確には理解していない。だから、テーブルに出されたものは、すべて責任をもって食すほかはない。
それで食ってみて思う。これはうまい。少々オイルとハーブがかかってはいるものの、限りなく”プレーン”に近いピザ。生地のうまさ、素のうまさがダイレクトに来る。
この日、風邪をひいてしまった私は、あまり食欲がなくてセコンド(メイン)の料理は遠慮させてもらった。しかも、ワインも飲まなかった。
だが、もし万が一、次回があるとすれば、この店でもう一度、このピザを思い切り食べてみたい。たぶん、ワインとの相性は抜群だと思われるのである。
Bovinoの街はとても小さい。夕食がまともにとれそうな店は、一軒くらいだった。
でも、その唯一のトラットリアは、幸いにして外観上は私好みの店だった。
開店直後、その店に入ってみると、まだ、店の奥の方の明かりが点いていなかった。おそらくはその晩の最初の客は私だったに違いない。
厨房から顔を出してくれたおばさんの案内で席に着くと、豪華なシャンデリアとテレビのスイッチが入れられた。
やがて、なかなかのイケメンが席にやってきた(F1ドライバーのフェルナンド・アロンソに似ている)。
何を飲みますか、何を食べますか・・・というご質問。イタリアの田舎でよくある店の儀式が始まった。紙に書いたメニューがなく、店にある食材を前提に、”打ち合わせ”をするというパターンである。
店側のスタンスは、一応、客の希望を聴くというものなのだが、それなりにお勧めがあり、希望通りにならないものもあり、打ち合わせをすればするほど、店側の術中にはまって行くのが常である。
とくに語学力に乏しい私などは、結局は言われた通りにするほかはなく、いっそのこと、最初からテキトーにやってくれと言ってしまった方がよかったのかも知れない。
かくして、前菜として生ハムとフレッシュチーズ、キノコと野菜の炒め、それと、第一の皿としてソーセージ入りのオレッキエッテが出てきた。
これらが私の真の希望に沿ったものかはさておき、アロンソ(勝手に名前を付けさせてもらった)が言っていたとおりのものが出てきた。いろいろ”打ち合わせ”をした結果、このようなものを注文することになったのである。
だが、この写真の皿が出てきたときは、「一体これは何?」と思った。
「ピザを頼んだ覚えはないのだが」という疑問、「いや待て、これはピザと言えるのか」という疑問、さらに「お代は幾らなのか、パンのかわりだからコペルト代に含まれるのか」という疑問等々が、すでにワインに含まれる魅惑の化学物質によって、かなり思考力の鈍った私の頭の中を駆け巡る。
そうは言っても、イタリア語で繰り広げられた”打ち合わせ”の内容を正確には理解していない。だから、テーブルに出されたものは、すべて責任をもって食すほかはない。
それで食ってみて思う。これはうまい。少々オイルとハーブがかかってはいるものの、限りなく”プレーン”に近いピザ。生地のうまさ、素のうまさがダイレクトに来る。
この日、風邪をひいてしまった私は、あまり食欲がなくてセコンド(メイン)の料理は遠慮させてもらった。しかも、ワインも飲まなかった。
だが、もし万が一、次回があるとすれば、この店でもう一度、このピザを思い切り食べてみたい。たぶん、ワインとの相性は抜群だと思われるのである。
【後】懐かしい忠告ありがとう ― 2012年06月30日 23:32
(2012年1月12日:Bari旧市街)
バーリでは、もともと旅の最後に2泊する予定だった。
それで、実際に2泊したのだが、Bovinoでひいた風邪のおかげでホテルから出られず。
本当は、ポリニャーノ・ア・マーレまで出かけ、お気に入りの店でいつもの生海("Crudo Mare")を食べるつもりだった。それが、非常食として持ってきた小さなインスタントラーメン等々で終わってしまった。
二日目の午前中もベッドから起き上がれず、ただ寝るだけ。
でも昼食をとった後、少し状態が良くなったり、ホテルでじっとしていても退屈なので、旧市街に出かけてみた。
実は私、この街のカッテドラーレをちゃんと観たことがないという不届き者なのであった。
というわけで、ゆっくり歩いて旧市街に入り、予定のカッテドラーレを観て、さらに司教区美術館にも足を運んでみた。美術館では、スタッフさんが温かく迎えてくれた。
美術館を出て、さて次はどうしようかと思いながら道にボーッと立っていたら、一人の紳士から声をかけられた。
「カメラには注意せよ」という何とも懐かしいご忠告である(最初にバーリを訪れたとき、同じことを新市街で商店主から注意された)。
この建物から向こう側には危険だから行ってはいけない、こっち側の道を行って旧市街を出なさい、とのこと。
こうやって声をかけてくれて、一所懸命説明してくれる人がいるのも、南の街の良いところかも知れない。
その昔、バーリはかなり危険な街というイメージがあった。とくに旧市街は、一人歩きは禁物というのが常識だったと思う。
その後、何度か訪れてみるうちに、街はきれいになり、怪しい人物の姿も少なくなってきた気がする。だいぶ治安が良くなったかな、と思っていたが、旧市街の奥には、まだまだ危ない場所があるのかも知れない。
この日は体調もあまり良くなかったし、忠告に従って旧市街を出ることにした。声をかけてくれた方にお礼を言い、彼が心配しないよう、言われたとおりの道に向かって歩き始めた。
体調は回復しつつあった。ただ、普通には体が動いていなかったのだろう。もう少しでホテルというあたりで、歩道のほんの小さな段差につまづき、派手に転んでしまった。
体中を石畳に叩きつけてしまい、そのダメージからか再び体調が悪くなり、夕食に出られなくなってしまった。
うまいものをいっぱい食うぞ、という意気込みでやってきたバーリだったのに、二晩目もホテルの部屋でお粗末な食事。
まあ次回にかけることにしよう。
バーリでは、もともと旅の最後に2泊する予定だった。
それで、実際に2泊したのだが、Bovinoでひいた風邪のおかげでホテルから出られず。
本当は、ポリニャーノ・ア・マーレまで出かけ、お気に入りの店でいつもの生海("Crudo Mare")を食べるつもりだった。それが、非常食として持ってきた小さなインスタントラーメン等々で終わってしまった。
二日目の午前中もベッドから起き上がれず、ただ寝るだけ。
でも昼食をとった後、少し状態が良くなったり、ホテルでじっとしていても退屈なので、旧市街に出かけてみた。
実は私、この街のカッテドラーレをちゃんと観たことがないという不届き者なのであった。
というわけで、ゆっくり歩いて旧市街に入り、予定のカッテドラーレを観て、さらに司教区美術館にも足を運んでみた。美術館では、スタッフさんが温かく迎えてくれた。
美術館を出て、さて次はどうしようかと思いながら道にボーッと立っていたら、一人の紳士から声をかけられた。
「カメラには注意せよ」という何とも懐かしいご忠告である(最初にバーリを訪れたとき、同じことを新市街で商店主から注意された)。
この建物から向こう側には危険だから行ってはいけない、こっち側の道を行って旧市街を出なさい、とのこと。
こうやって声をかけてくれて、一所懸命説明してくれる人がいるのも、南の街の良いところかも知れない。
その昔、バーリはかなり危険な街というイメージがあった。とくに旧市街は、一人歩きは禁物というのが常識だったと思う。
その後、何度か訪れてみるうちに、街はきれいになり、怪しい人物の姿も少なくなってきた気がする。だいぶ治安が良くなったかな、と思っていたが、旧市街の奥には、まだまだ危ない場所があるのかも知れない。
この日は体調もあまり良くなかったし、忠告に従って旧市街を出ることにした。声をかけてくれた方にお礼を言い、彼が心配しないよう、言われたとおりの道に向かって歩き始めた。
体調は回復しつつあった。ただ、普通には体が動いていなかったのだろう。もう少しでホテルというあたりで、歩道のほんの小さな段差につまづき、派手に転んでしまった。
体中を石畳に叩きつけてしまい、そのダメージからか再び体調が悪くなり、夕食に出られなくなってしまった。
うまいものをいっぱい食うぞ、という意気込みでやってきたバーリだったのに、二晩目もホテルの部屋でお粗末な食事。
まあ次回にかけることにしよう。
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