【後】見知らぬ町ターラントの印象2014年09月19日 00:22

2013年12月20日

ターラントという街へ足を踏み入れたのは今回が初めてだった。列車で通過したことは何度もあったのだけれど。
しつこいほどのプーリア行脚を続けながら、これまでターラントを避けてきたのは、危険な街というイメージが強かったのと、フェデリーコ関連の見所がなかったためだった。だが今回は、Massafra訪問の拠点として、どうしてもターラントに宿泊する必要があった。

ターラントのイメージを悪くしていたもう一つの原因は、辻邦生氏が1967年に発表した「見知らぬ町にて」という作品の存在だった。この作品のモデルとなった町がターラントなのである。
何しろ、書き出しが「ひどく疲れていた」である。何とも暗い。この疲労感に最後まで付き合わされる。しかも、ストーリーが茫漠としていて、何度読んでも書かれている内容が読み取れない難解さがある。ほんと疲れる。
辻氏は、1959年にギリシャからシチリアに向かう列車の旅の途中で、ターラントで半日も足止めを食らったそうだ。「私の眼には、タラントの町は現実の町ではなく、実体のない影のように見えた」とのこと(『微光の道』新潮社)。
とにかく、行きたくなくなるような情報ばかりだったわけだ。

行ってみれば何のことはない、普通の街だったのだが。
新市街はとても都会的で明るく、北の街の雰囲気に近い感じがした。クリスマスの電飾がきれいで、大勢の人が夜遅くまで通りを散策していた。遅くまで酒飲みを続け、1人でホテルまで歩いて行っても、とくに危険を感じるようなことはなかった。
ただ、さすがに旧市街の方は凄みがあった。安全策をとって昼間のDuomo通りのみを散策するに留めたけれど、建物の壁は黒いし、脇道を覗いてみると廃墟になっている建物も目立つ。もっとも、少しずつ整備は進んでいるようなので、いつかは小綺麗で楽しい街に変身するのだろう。

ちなみに、辻氏が立ち寄ったと思われる国立博物館は長期閉館中だった。ターラントに関しては、また来る口実が残ったということになる。

コメント

_ aglianico ― 2014年10月26日 20:49

ターラント、16年前に行きました。
長期旅行中で、アルベロベッロへの拠点として宿泊しました。
道を歩くだけでものすごく怖かったです。
イタリアというより中東みたいな雰囲気でした。
今ではあのころとは違うのでしょうが、面影はありそうですね。

海を眺めていたら、牡蠣を山盛り積んだ船から降りてきたおじさんが、何か言って殻を割った
生牡蠣を差し出しました。
当時イタリア語がまったくわからなかったので、なんと言ったのかわかりませんでしたが、
今思うとあれは"mangia"だったような気がします。
警戒してあの牡蠣をもらわなかったことは、一生後悔し続けるでしょう。
おじさんは自分でチュルッと食べてどこかへ行ってしまいました。

怖いもの見たさでもう一度行ってみたい街です。今なら、あの頃よりは楽しめるような気がします。

_ ike ― 2014年10月27日 00:01

ターラントの旧市街は、今もほとんどの部分が廃屋同然になっている印象でした。
小島なだけに、キレイな街に変身したら、シラクサのオルティージャ島のような観光名所になるだろうこと間違いないと思うのですが、残念な場所です。

16年前の牡蠣の一件は、なかなか判断が難しいところですね。食べたら食べたで面倒なことが起きたのかも知れないし、純粋に親切心だったのかも知れないし・・・。
また同じことがあったら迷わずもらって食べるってことでしょうけれど、くれぐれもお気をつけて。

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