震災で長野が初日になった2011年05月10日 00:00

 
5月7日(土)には、長野ビッグハットでの小田和正コンサートへ。

この方のステージを観るのは4度目である。
最初は1978年に栃木県足利市で、2度目は1988年頃に福島市で(いずれもオフコース時代)。
小田さん自身が63歳だそうだが、こうして振り返ってみると、私も年をとったものだと思う。実際、今回のコンサート会場へと向かうシャトルバスは、どこか中高年者向けの慰安旅行の佇まいがあった。

3度目は2005年に東京を離れる直前の夏、小さな会場でのプライベートライブのようなものに出かけた。
その会場というのが行ってみてビックリで、その昔、私が大好きだった人から、ハイネケンビールをおごってもらったという、大変に想い出深い場所だったりした。

いつだったか、ファンハウスというレコード会社に関する仕事を少しやったことがあって、会社の方から音楽CDをたくさん頂いたことがあった。事前に、私が小田さんのファンなのだと言っておいたこともあって、その中に小田さんのCDが2枚入ってた。
それは「この仕事をやっていて良かった」と思えた数少ない瞬間だったように思う。

何かと、この方の繰り出す音楽は、私の想い出に深く結びついているのだけれど、今回のコンサートもまた、特別なものになった。
震災の影響で、今年予定されていたコンサートツアーの序盤は中止と延期が相次ぎ、この日の長野でのコンサートが初日になってしまった。
震災のこととか、この人はクドクドと言うタイプの人ではないが、何かとその歌詞は、今起きている悲劇と重なって、きこえて来てしまう。
 
 戦える 僕らの武器は 今 何かと
 それを見つけて こゝへ 並ばないか

 やがていつの日か この国のすべてを
 僕らが この手で 変えてゆくんだったよね

この曲"the flag"は、このコンサートで初めて聴いたのだけれど、とても印象に残った。