フェリックス・ティオリエ写真展2010年09月12日 22:24

 
この週末は、山梨県立美術館に出かけ、フィリックス・ティオリエ写真展を観てきた(写真は美術館の敷地にあった噴水)。
ティオリエは、19世紀末前後に数多くの優れた写真を残したフランスの人物。その作品の存在は長い間知られることがなく、近年になって「発見」されたそうだ。

写真展の「順路」の最初に展示されていたのが、彼が使用していた写真機だった。当時、フィルムの役割を果たしていたガラス板も展示されていた。ガラス板が木の枠や板で囲ってあって、写真を撮るときには板をはずす仕組みになっている。その大きなガラス板一枚で一枚の写真しか撮れない。今のデジカメに比べると、その手間のかかりようは100倍を超えるはずだ。

この写真機の実物を観てから作品群を鑑賞したのだが、あんな巨大な装置を使って、どうしてこんな写真が撮れたのだろうと驚く作品が多い。彼の家族、とくに孫たちの動きのある写真が数多くある。その「瞬間」をとらえるのは大変だったろうにと思う。

まだ写真機というものが発明されたばかりの写真だというのに、その作品の完成度は高い。それに、19世紀末から20世紀初頭のフランスの「記録」としても価値が高いものと思われた。
編み物をする農婦たち、葡萄の収穫の風景、壊れかけた中世の城壁、炭坑で働く少年たち、現代と変わらない屋敷の中庭の景色・・・、当時の人々の暮らしが見える。

それで、これは先日の植田正治写真美術館でも思ったことなのだけれど、写真に、撮った人の優しさが感じられる気がした。家族への暖かな眼差しが、そのまま写真に現れているような。