【後】連携プレー?2012年03月26日 22:03


(2012月1月4日:Vibo Valentia)

Vibo Valentiaという街は、鉄道駅(Vibo-Pizzo)からかなり離れており、しかも高台にある。歩くのは端から無理とわかっていたため、バスの時刻表をネットで事前に調べておいた。
列車を降りると、さっそく駅のBarへ向かった。そこでバスの切符を売っているに違いないと思ったからだ。
ところが、バスの切符はありますかと尋ねると、Barのおばさんが首を振る。バスなら100メートル上だとのこと。
礼を言って坂道を100メートルほど上がってみると、街道沿いに一軒家のBarが建っているのが見えた。なるほどここか、と思ったのだが、近づいてみると店内の明かりが点いておらず閉店中の様子。かといって、周囲には店舗のような建物はない。
仕方なく、しばらく街道を行ったり来たりしながらバス停らしきものを探してみたのだが、バス停の標識も見あたらない。

どうしたものかと、その街道沿いのBarに戻ってみると、店のドアあたりにお店の人らしき姿があった。急いで声をかけてみたところ、街道に停めてあった普通の乗用車に案内された。街まで15ユーロとのこと。
で、城まで15ユーロで連れて行ってもらった。バスのことはいろいろ聞いてみたのだが、結局、何だかよくわからない答えばかりだった。

さて城の観光を終えると、街を貫く真っ直ぐな道(写真)を下ってみた。この道は、フェデリーコ2世が城と街を再建した頃から存在するらしい。
道を歩きながら、駅まで戻るためのバス停を探したのだが、なかなか見つからなかった。バス停だけでなく、走っているバスすら見つけられない。
ならばタクシーを拾おうと、とある広場で「TAXI」の看板をみつけ、しばらく待ってはみたものの、看板の周囲には普通の乗用車が駐車されていて、タクシーが来る気配も全くなかった。
それで、旅行会社のオフィスに入り、バスの切符を買いたいと言ってみた。すると、広場の隅にあるタバッキに行けと言われ、そのタバッキでバスの切符を買い、バス停も場所も教えてもらった。

そのバス停に着くと、そのバス停前に車を停め(なぜかバス停に向かって縦に停めていて、ものすごく邪魔)、携帯で話中のオッサンがいた。何だかエライ剣幕で携帯に向かって叫んでる。
ところが、私の姿を見るや否や、携帯を切ってこっちに駆け寄ってきた。何となく面倒くさい予感がしたが、その予想通りの面倒くさい相手だった。いきなり20ユーロだと言って、私の背中に腕をまわして車に乗れとおっしゃる。
来るときの登り坂で15ユーロだったため、高過ぎるから10ユーロにしてくれとゴネてはみたのだが、普通は25ユーロのところ、本日限りの20ユーロへのディスカウントなのだと仰る。
そうやっていても定刻をだいぶ過ぎてもバスが来る気配はなく、結局20ユーロで駅まで連れて行ってもらった。段ボールの板を車のシートに置き、座布団がわりにしているユニークなオッサンだった。

こうしてタクシーじゃない車を有料利用することになった一連の流れを振り返ってみると、私は"必然的に"利用することになった気がする。彼らが、私が現れるであろう場所(Barやバス停)を事前に知っており、そこで待ち構えていたような気がしてならない。
つまりは、こういうシステムではないかと思うのである。私がバスに乗ろうとしていろんな人に切符売り場やバス停の場所を尋ねる。そうすると、私が尋ねた相手の誰か、またはその周囲で会話を聞いていた人が彼らに連絡し、車をまわして待っていてくれる・・・。

四半世紀前にイタリアを初めて旅していた頃の私なら、きっと腹を立てていたと思う。
でも今は、旅人に不便をかけないための便利なネットワークだと思えてしまうから不思議だ。