【後】レッジョのトラットリア2012年04月06日 22:56

(2012月1月5日:Reggio di Calabria)

レッジョでは中央駅近くのホテルをとったのだが、夕食をゆっくりとれるような店が見つからずに苦労した。ドゥオモ近辺でも、見つかるのは切り売りピザなどのファストフード系ばかり。
ガイドブックをみても、紹介されているのは街のずっと北の方ばかりで、リド駅の近くのものしか載っていない。当初は仕方なくホテルのレストランで食事をとったのだけれど、案の定、残念な感じになってしまった。

そんな中、3晩目でようやく見つけたのが写真の店だった。ドゥオモより東側に坂道を登ったあたり。まだ明るいうちの散策で見つけた店で、まだ開店前の外観だけで一目惚れ。今夜はここしかないと決めた。

この店では、グラスでイタリア各地のワインが頼める。一杯6~9ユーロくらい。
私は、カラブリア産の☆印が付いてたやつを頼んでみた。一口目、強烈な渋みだけが口いっぱいに広がって「何だこりゃ?」と思った。が、その直後にガツンという旨みが来た。
何とも荒々しい感じだったけれど、久しぶりにちゃんとしたワインを飲ませてもらった気がする。
私は酒飲みの割にワインに対するこだわりがなく、ひたすらテキトーに飲んでいるだけなのだが、なるほどこういう体験が積み重なると、だんだん「その道」に嵌って行くのかもしれないと思った。個性の強い南のワインを発掘していったら、さぞかし楽しかろうと。

それと、絶品だったのが、写真の子羊の焼き物である。
子羊は私の大好物だけれど、実はその独特の臭みは苦手。とくに臭み強い脂身にあたってしまうと悲惨なことになる。けれど、この皿は肉が新鮮で、脂身も大変おいしかった。
そして、何といっても上に載っている串焼きがすばらしかった。抜群の香ばしさと絶妙な歯ごたえがある。

できることなら、次回はあのワインをボトルで頼んで、その串焼きだけを10本は頼みたい(それを依頼するには、もっとイタリア語を習得する必要があるが)。もしそれがご近所の焼鳥屋であったらなら、毎日でも通いたい。
ちなみに、その店のお隣はB&Bの入り口になっていた。次回(がもしあれば)は、そのB&Bに宿をとり、毎日串焼きを食べようと目論んでいる。

【後】ユーロスターの座席指定2012年04月10日 23:33

(2012月1月7日:Lamezia-Napoli)

1月7日は、NicastroからタクシーでLamezia Termeの中央駅に向かい、そこからナポリまで鉄道で移動。
ユーロスターという特急を利用した。

さて、列車に乗り込むと、私の指定席(窓際の51番)に座ってるおばさんがいる。声をかけてみると、あなたの席は、あたなの後ろ側だ(通路側49番)とおっしゃる。明らかに座席番号が違っているのだが、その車両の中で空いてる席はその1席しかなく、とりあえずその席に座って様子をみることにした。

すると案の定、次の駅で乗り込んで来た2人組の客が、私が座っていた座席49番のチケットをもっているという。
やっぱりね。というわけで、私が指定をとった51番の席に座っているおばさんに、そこが私の席では?と言うと、そのおばさんが何やらあちこちの人に指示を出し始めた。
おばさんの斜め前に座っている人をどかし(この人はどこかへ消えてしまった)、その席に、通路を挟んだ反対側の通路側に座っていた人を移動させ、さらにその隣の窓際の人をどかし(この人もどこかへ消えてしまった)、そこに私を座らせ、最終的に空いた2つの席に新たに現れた2人組を座らせ・・・、というところで一件落着となった。だが、その付近の8席に関していえば、指定通りの"正しい"席に着いていたのは、3人くらいだと思う。

どうも、その司令塔となっていたおばさんは、お友達(座席50番)と一緒に指定席をとったのに、離れた席(48番)が指定されてしまい、「自主的な指定変更」を実施し、お友達の隣の席(51番)に移動していたらしい。そこが私の正規の指定席だった。それで、彼女の正規の指定席に私が座ることができれば単純な1対1の座席交換で済んだはずなのだが、問題の背景は複雑であった。私が乗り込んだとき、おばさんの本来の指定席(48番)には別の人が座っていた。この人の本来の指定席はその真向かいの席だった。ところが、そこには座席指定を受けていない人が勝手に座っており、48番にやむなく移動していたのである。
さらに、もう一人指定席のチケットをもっていない人が付近に座っており、複雑な指定席の交換と玉突きが生じていたのだった。

とうわけで、おばさんは指定席のチケットをもっていない2人には去るよう命じ、指定がとってある人には空いた席にそれぞれ座るように命じ、そうやって自らはお友達の隣の席を確保しつつ、自分たちは全く移動せずに済ませていたというわけである。

その後、車掌が検札にやってきたけれど、ほとんどの人が"正しい"席に座っていないことについて、全く問題にならなかったことは言うまでもない。

ネコにつき取扱注意2012年04月13日 00:57

 
取り扱いには注意してください・・・、ということらしいです。
はい、はい、わかりましたよ。

最近、あまり遊んで差し上げられないこともあって、朝はわざと私の上に乗って起こす、昼は私の愛用リュックで爪を研ぐ、夕食の私のゴハンを略奪する・・・等々で、ご機嫌斜めの様子。

シケルガイタ様にとって、この「箱」がお気に入りの遊び場になってしまったらしく、捨てられなくなってしまった。

【後】『紅の豚』がカッコイイのは・・・2012年04月28日 00:34


ジブリのアニメ『紅の豚』といえば、「飛べない豚はただの豚だ」等々の名言にあふれた作品として有名だけれど、先日のTV放映を観ていて、こんなセリフが仕込まれていることに気がついた。

「ぼってるんじゃねえ 持ちつ持たれつなんだよ」

これは、おそらくはアドリア海の東、ダルマチアと思われる沿岸部で、豚のポルコが飛行機の給油をする場面でのセリフ。
ミラノ生まれの少女フィオが、イタリアの3倍もするガソリン代の請求に立腹し、メチャクチャだと言うのに対し、ポルコは「払ってやれよ」と返す。そして付け加えたのがこのセリフだった。

ポルコによれば「海も陸も見かけはいいがな この辺りはスッカラカンなのさ」とのこと。
「持ちつ持たれつ」なんだし、3倍くらいのガソリン代はまあいいじゃないかと、そう言って若いフィオを諭しているわけである。

この作品は何度か観ているはずだが、今回初めて、このセリフのところでハッとした。
これは、今年の正月のイタリアの旅で、この「ぼってるんじゃねえ」という感覚が少しだけ分かったからだろうと思う。例えばメーターなしのタクシーの料金設定は、どこかぼったくりの匂いはするけれど、決して不公正ではないと感じられるようになったのである。
今までは、むしろフィオの感覚に近く、この種の不透明な料金設定に憤りを感じていたのだが、今回はポルコの感覚に近い状態で作品を観ることができたのだろう。作品に共感できる何かを自分がもっていないと、こんな名言も聞き流してしまう、ということにも気づかされた。

確かに、ぼったくりはよくない。だが、相場からみて割高の料金設定の全てが暴利を貪る悪とは限らない。そうしなければ生活が成り立たないのだとしたら、市場というものが"彼ら"に強いる「適正な相場」の方が悪いのではないだろうか。
逆に、消費者に格安の商品やサービスを提供してくれる商売人が善とは限らない。その裏で、従業員に過酷な労働を強いたり、仕入れ先などに不当な価格を強要しているカイシャなんて、山ほどあるのだから。

「カッコイイとは、こういうことさ」

という名言も、こうしてみると、今までとは違って聞こえてくる。

【後】説明書きのない石棺2012年04月30日 21:26

(2012年1月7日:Napoli)

ナポリという街は、飛行機から鉄道へ、鉄道から船へという乗り換えをしたことが何度かあるものの、街の観光をしたのは今回が初めてだった。
今回、ナポリを訪ねようと思った最大の理由は国立考古学博物館の存在。だが、この博物館が誇るギリシャ・ローマ時代の大理石彫刻たちにはあまり興味がなく、その時代の所蔵品の中で観たいと思ったのはアレキサンダー大王が描かれたモザイク画くらい。

私にとっての最大のお目当ては、シチリア大伯ルッジェーロ1世の石棺であった(写真)。
ルッジェーロは、ロベルト・ギスカルドの弟として、片腕として、ともに中世の南イタリアを征服し、ロベルトの死後はその遺産を引き継ぎ、シチリア王国の礎を築いた英雄である。

ところが、この石棺を見つけるのに四苦八苦し、これこそがルッジェーロの石棺だと確信するまでに非常に時間がかかった。
1階に多数の石棺が並べられていたのだが、この石棺については全く説明書きがなかったのである。
この石棺は、ルッジェーロ1世の本拠地であったミレートの街から発掘され、わざわざナポリに運ばれて、この博物館に展示されたものである。
だから、博物館に行き、順路通りに歩いていれば、いつかはこの石棺が観られるに違いないと思っていた。しかし、一通り館内を観て廻ったのだが、それらしき展示物に出会うことなく出口に到着してしまった。

その後、見学のための順路とは外れたところ、中庭を巡る通路に多数の石棺があることに気づき、そちらに移動。
ところが、説明書きのある石棺を全部チェックしたのだが、ルッジェーロのものが見あたらない。
この石棺に関しては、以前、何かの書籍か資料に掲載されていた写真を観たことがあった。その記憶を頼りに、通路を何周もしながら一つ一つの石棺を観て廻った。

その結果、どうもコレに違いないとの結論に達し、シャッターを切ったのがこの写真である。
まあこの博物館に展示されている名品の数々に比べると、「作品」としての価値は微妙である。だから、"大物"の石棺とはいえ、これを端っこに追いやり、説明すら付けないというのも理解できなくはない。
けれど、こんな扱いがされるのなら、ミレートの博物館に戻してあげてはどうかと思ってしまう。

* ミレートを訪ねた5年前の記事は↓
http://ike.asablo.jp/blog/2006/08/28/501678