開き直りの極意2006年07月05日 22:44

旧制松本高校にて

前回、唐突に「辻邦生展」の話題を書いてしまったけれど、実は私、かなり辻邦生氏のファンである。小説などほとんど読まない私が、なぜか繰り返し読み続けているのが辻氏の作品だ。
だいたいこの10年くらいは、ほとんど小説を買っていない。買うのは、仕事用の本のほかは、歴史ものか科学もので占められている。唯一の例外となる作家であった辻氏が7年前に亡くなったため、私が読もうと思うような文学作品が新刊されることはなくなった。今は同じ本を繰り返し読んでいるような状態だ。

さて、辻氏の作品との決定的な出会いは1985年頃のこと。
春、たまたま市立図書館で手にとってみたのが、短編集「ある生涯の七つの場所」のうちの一冊だった。それでいきなり、その作品の罠にはまり、繰り返し読む羽目になったわけである。しかも、当時はまだ未完だったから、未完成部分をぐるぐる読んで廻るという苦行を経験することになった。

そんな作品を書いた人がうらめしく、この目でみてみたいという思いにかられ、その年の秋には、明治学院大学で開催された辻氏の講演会に出かけた。それは「新しい文化コンテクストにおけるフランスと日本」という長い演題だった。ちなみに、こうして演題を再現できるのは、このときの講演録が『言葉が輝くとき』(文藝春秋)に収められているせい(当時も今も、その演題の意味はちゃんと理解できていない)。
そしてこの講演で、私は忘れられない一節と出会う。

「われわれは独りぼっちで生まれて、独りぼっちで死んでゆく」

そのような孤独の感覚を、ホームレスも含めてあらゆる階層の人々がもっているのがヨーロッパなのだと仰っていた(手元にある『言葉が輝くとき』には、私の記憶とは別の文章で同趣旨のことが書かれている)。辻氏は、その講演で、そんな死を前提にした孤独を見据えることで、今という瞬間を生きていることが、どれだけ素敵なことなのかがわかってくるのだと教えてくれた。

当時の私は大学4年生で、留年決定という状況の中にいた(無事に翌年度は卒業できました)。
まだ若かった私は、その言葉をとりあえず、「開き直りの極意」と曲解したけれど、ともあれ、当時落ち込むばかりだった私にとっては、これ以上ない贈り物となった。すっかり洗脳されて元気が出たのである。

その後年齢を重ねるにつれて、あの言葉の深い意味が少しずつわかるようになってきたが、しかし、今でも窮地に追い込まれるようなことがあると、「開き直りの極意」として、あの言葉を念じることがある。
まあ要するに、「明日独りぼっちで死んじゃうかも知れないんだし・・・」というノリで、今そこにある酒とかを楽しむわけです。
これ、かなりヤバイ精神状態のように思う人がいるかも知れないけれど、そうやって開き直ると、元気が沸いてくるものなのだ。

コメント

_ cricripiero ― 2006年07月07日 04:07

私にとっての言葉は「メメントモリ」でした。
大学三年生のころに受けたゼミでレジュメなんか作って発表したのを覚えています。
う~ん、あの頃は一つの文章に救われることもあれば、
自分の存在に絶望してしまうこともあるくらい、心がビンビンにデリケートだったなあ・・・なんて思い返してしまいました。
強くなったのか、鈍くなったのか、慣れてしまったのか、、、
当時号泣した本を読み返して、一滴の涙もこぼせなかったことに、とても切ない思いをしたこともしばしば・・。

まあでも、年を経るごとに人生が楽しくなっていってるのは間違いないんですけどね♪

_ ike ― 2006年07月07日 13:49

>年を経るごとに人生が楽しくなっていってるのは間違いないんですけどね♪

これはまた、素敵な言葉ですね(それに何と素敵なゼミ!)。

昨年、知人の訃報をメールで知らせてくれた方が「Memento mori というのは、元気な人だけが簡単に使える言葉ですね。抽象的というか、実感がないからこそかっこよく言えるというか。」と書いておられました。

私はその人に、ロレンツォ・ディ・メディチの有名な詩を書いて送りました。

Quant'e bella giovinezza,
che si fugge tuttavia!
Chi vuol esser lieto, sia:
di doman non c'e certezza.

おそらくは、Memento mori という意識があるからこそ、楽しいことを深く味わえるのでしょう。
だからこそ、ロレンツォの子孫である”彼ら”は、蹴球で勝ったくらいで箱乗りしちゃうわけですね。

_ 駄菓子 ― 2006年07月12日 10:39

ikeさん、こんにちは
この詩、私は大学で知ってから大好きです。
そのためか、仕事でも旅先でも明日を知らない行動に走ってしまうのですが……。
その後、「命短し恋せよ乙女……」と歌う「ゴンドラの唄」が、この詩を下敷きにしていると知ってビックリ。
乙女だけじゃない!

_ ike ― 2006年07月13日 12:50

駄菓子さん、こんにちは。

いつも「明日は走らないバス」とかに乗って、旅してらっしゃいますものね。
最近の私は、インターネットで徹底的に事前調査しないと旅に出られなくなりました。

_ cricripiero ― 2006年07月16日 17:30

私はこの詩を知らなかったのですが、
振り返るとこの詩の内容をモットーに(!?)
生きてきたような気がします♪
いつかツケが回ってこないかと、ふと不安になることも
ありますが、今のところ大丈夫のようです(笑)

それにしても、ikeさんのような方と
高校の先生とかで巡り合っていたら
また人生とっても豊かなものになっていただろうなあ
なんて考えちゃいます。
まあ、でもikeさんにしてみればガキんチョの相手は
お嫌でしょうけれど!

いたんですよ、一人。
テニスと読書しかしない倫理政経の先生が。
授業中も何やってても全然怒らない(笑)
あんまりうるさくなると「うるさい!」と一喝するだけ。
でも、その先生の周りに漂う飄々とした雰囲気と
また、いかにも「ガキんチョ相手に授業してる」
っていう諦念的な態度がてもステキで
その先生の内なる豊かさを漠然と感じていました。

_ ike ― 2006年07月17日 15:52

cricripieroさん、こんにちは。

その最後の一文を、その先生に言ってあげてください。是非。
きっと先生、泣いちゃいますから。とくに「漠然と」ってところに。

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