そうだ、その手があった。2006年08月01日 16:43


先日、料理の本をみていたら、ハーブの天ぷらのことが書いてあった。
そういえば、摘花をしていないため、バジルの花も咲き放題。シソの実の天ぷらという定番がある以上、バジルの花の部分の天ぷらもいけるのではないか。それに、今のところセージをあまり使っていないが、あの強い味のセージを天ぷらにすれば、タラの芽の天ぷらのような味わいになるのではないか。そんな想像が膨らむ。

そんなわけで、先日の週末にやってみました。
バジルの花、セージ、それにディルの花とルッコラを天ぷらに。ローズマリーは素揚げに。

で、味はというと、バジルはバジル、ディルはディルの素直な味がするだけで、悪くはないのだけれど、つまらなかった。
美味かったのは、やはりセージの天ぷら。カリッと揚げると、あの強い味が丸くなって美味い。ローズマリーも同様。シャリシャリした食感もよし。
それと、ルッコラは不思議な味になった。女房に言わせると、鰯の中骨を揚げたときの風味に通じるものがあるとか。

日々エスカレートするわが家のハーブづくし。
ついにここまで来ました。

セージが活躍し始めた。2006年08月05日 23:22


今日は朝から、昼のスパゲッティにセージを大量投入する方法を考えていた。
バターや生クリームとあわせることを考えると、何とかまとまった味が想像できる。けれど、この暑さの中、もっと爽やかに仕上げる方法をとりたい。

庭の草むしりをしながら横目でセージを睨みつけ、どうしたものかと考え続けたものの、アイディアが出てこない。
結局、草むしりも一段落して休憩に入ったところで、先週の”天ぷら路線”に思い至る。油で揚げてしまえば、セージのあの尖った味が落ち着くはずだ。
というわけで、セージに軽く小麦粉をまぶして唐揚げっぽく油で揚げることにした。カリカリになったセージを適当に砕き、スパゲッティにトッピングする方法を思いつく。

一方、女房は朝からトマトソースを煮込んでいた。
このところ女房は、農協の直販やら、道端で野菜を売ってるおばさんやら、いろんなところから様々なトマトの品種を買い込んで来ている。どんな品種のものがどう混ぜ込んであるのか不明だが、混ぜものなしの純粋トマトソースを朝から煮込んでいた。

そんなこんなで、私のセージの唐揚げと女房のトマトソースが合流するかたちで本日の昼パスタが完成。
ちなみに、ソースには、「黄色辛こしょう」とかいう、ピーマンと唐辛子の中間みたいな辛い野菜を入れてある。今回は肉や魚介は一切なしにして、野菜とオリーブオイルのみによるコッテリ濃厚を目指した。

これは美味かったです。
やっと、セージの扱い方が飲み込めてきた。

郭公を追いかけて・・・2006年08月06日 19:58

郭公

数週間前、家のすぐ近くで郭公の声を聞き、カメラを持って家を飛び出した。
写真はそのときのもの(ネガで撮ったため、現像とスキャンに日数がかかってます)。
郭公は、お隣さんのすぐ上の電線にとまって鳴いていた。

ところで、お隣さんは、車庫と客室が一体化しているタイプのホテルである。道を挟んで、同じタイプのホテルが2件向かい合っていて、経営者は同じ。
もっとも、特殊任務を帯びたその種のホテルにありがちな原色を多用した外装はなく、やたら点滅するような看板もない。料亭のような和風の落ち着いた外観であるため、すぐ隣に住んでいても気にならない。

で、道で郭公の写真を2カット撮ったところで、この2件のホテルの間を行き来する従業員の方に出くわしてしまった。私の存在に気づいて、足を止めた従業員さん。横目で私を見ている。

あ、いやその・・・

私の手の中には、望遠レンズを装着した一眼レフカメラ。
右にホテルの看板と空室ありの表示。左に同じ。

いえいえ、決して人を撮ろうとしているわけではありません。そういう仕事からはもう足を洗っておりまして・・・

と、シャッターを切るのをためらった瞬間のうちに郭公は飛び立って行った。
被写体は消え失せ、望遠レンズ付きの一眼レフを手にした男一人、2件のホテルの間にたたずむ。

ジェンソン+ホンダ、優勝おめでとう!2006年08月09日 16:47


一昨日、職場の同僚S氏と焼き肉を食べに行ったとき、私がF1(自動車レース)のファンだと言ったら、「アレのどこがおもしろいんですか?」と言われてしまった。
そのとき、とっさに私の口から出てきたのはこんな答えだった。

「人間関係。」

普通の人にとって、「アレ」は、車が同じコースをぐるぐる廻っているだけの退屈な興行にしか見えないらしい。しかし、世界中に大勢のファンがいるのも事実で、アレはアレなりに、非常に味わい深い興行なのである。

私がおもしろいと思うのは、関係者のほとんど(純正ニッポンチームであるスーパーアグリだけは除く)が、「和をもって尊し」の精神とはほど遠いところ。
F1を主宰している団体と、車を出走させているチームとの間の確執。同じチームに所属しているドライバー同士の確執(本来は助け合わなくてはいけない建前なのにね)。そして、昔つきあっていた女性を巡る確執。要するに、サーキット上でレースを競うこととはあまり関係ない確執に溢れているわけである。
私たちはもちろんレース自体をみるわけだけれど、車の競り合いの中に、そんな確執がにじみ出てくることがあっておもしろい(かつては、あからさまに車をぶつけたていた人もいたような・・・)。

ドライバーにとってF1は自動車レースの最高峰であるから、優勝という栄誉をめぐっての激しい利害のぶつかり合いがある。主催者や出走チームにとってみても、F1は巨額の金が動くビッグビジネスである。
金と名誉を巡るギラギラした欲望のぶつかり合い。それがF1だとも言える。スポーツ界にありがちな、説教じみた精神論がほとんど排除されているようなところがすごくいい。

そんなF1の世界にあって、昨年、某タイヤメーカーが窮地に追い込まれたとき、そのメーカーの責任者(フランスの方です)がニヤニヤしながら言っていた言葉は名言だった。
「みんな家族みたいなもんじゃないか。家族の誰かが困っていたら、助けるのが当然だろ?」
彼がニヤニヤしていたのは、そんな説教じみた言葉が、F1の世界では全く通じないことをよく知っているからだろう。

何はともあれ、ジェンソン・バトン、初優勝おめでとう。
ずっと待ってたんだから。

カレー南そばが食べたい2006年08月15日 14:43


昨日は、久しぶりに東京へ。
お盆ということで、12日から栃木の実家に帰省していた。その帰り途に東京でいくつかの用事を済ませた。

ちょうど昼食時に東京駅に着いたため、昔の職場近くのそば屋で昼食をとろうと思った。なぜか、このところ、その京橋の店の「カレー南そば」が無性に懐かしい。
信州に住むようになって、美味いそばは日常的に食べているものの、カレー南蛮となると、そんなメニューを出している店がなかなかない。
まあ確かに、誰かがカレー南蛮を食べ始めると、店中がカレーの臭いで充満してしまうことになる。そばのほのかな香りを楽しむどころではなくなり、食欲をそそるカレーの臭いに、気持ちが全部もっていかれてしまう。だから、ちゃんとしたそばを出してるそば屋さんほど、カレー南蛮は避けたがるのだろう。

京橋のその店の場合、3割ほどの客が「カレー南そば」を食べているため、店の中の臭いは、常にカレー屋のようになっている。昨日もおとといも「カレー南」だったから、今日はたぬきにしようと思って店に入っても、その臭いにやられて「カレー南」を頼んでしまう。そんな店だった。
もっとも、そば自体がかなりうまい店で、何の変哲もないそば屋に見えて、実はかなりの実力をもつ名店であった。

しかし、そのそば屋はお盆休み中だった。ある程度、予想されていたことではあったが、そのショックは大きかった。
行きつけだった鳥料理の店も寿司屋も休み。仕方なく、霞ヶ関のビルで用事を済ませ、その地下の店でナポリタンを食べた。

こんなブログまで書いてしまって、もう頭の中は「カレー南そば」でいっぱいである。来週、また東京に行くのだけれど、「カレー南そば」を食べたいがために、宿泊場所を京橋近くにしてしまいそう。

望遠デジカメの威力2006年08月18日 18:28


ああでもない、こうでもないと、カメラを買うときはいつも悩みに悩む。
今回は、望遠に強いデジカメが必要という動機から始まった。そのため最初は、一眼レフのデジカメで行くか、それとも望遠ズームに特化したデジカメで行くかでかなり悩んだ。
一眼であれば、私の場合、レンズ資産(minolta)を考えると"Sony"しかないのだが、どうしても、あの"Sony"という文字が納得できなかった。なぜかカメラを倒して縦位置で撮ってはいけない気がしてならず、横位置の写真ばかりが増えそうで、今回は見送ることにした。
最終的に、パナソニック(FZ7)か、キャノン(S3_IS)の望遠デジカメに絞り込んだものの、このまま望遠系は銀塩一眼で我慢する、つまり「買わない」という選択肢も浮上し、実際に店に行ってからも結論がなかなか出なかった。
結局、キャノンの方を買った。決め手はEVFと呼ばれるファインダー内の画像表示。世間ではパナソニックの方が色がきちんと出るため評価が高いようである。けれど私にとっては、構図がちゃんとわかるEVFの画面の広さの方が大事だった。

とまあ、数ヶ月にわたって悩み続けた問題に結論が出たわけだが、もっと早く買っておくべきだったと後悔している。
上の写真は、通勤路にいる鴨を撮ったものだが、何とキレイに素早く簡単に撮れてしまうこと。手ブレ補正付きで、400mm相当の望遠の威力はすごい。今までの写真はいったい何だったのか、という気になる。
次の狙いは、同じ小川に出没するキセキレイだ。これならきっと、ちゃんと撮れる。

またシケルガイタのことで2006年08月25日 18:48

Monte Cassino

わが家の猫の名前「シケルガイタ」は、中世南イタリアの支配者だったロベルト・ギスカルドの妻からとったもの。
猫に変わった名前を付けようと考えたとき、最初に浮かんだのがこの名前だった。それとその頃、本家シケルガイタ様を”民族の架け橋”とみる考え方があることを知り、それがまた気に入った。

”民族の架け橋”というのは、ロベルトがノルマン人で、シケルガイタがランゴバルド人のサレルノ候の娘だったからだ。
まあ当時はまだ”民族”の違いをどうこう言う時代ではなかったから、現代的な意味で”民族の架け橋”と考えるわけにはいかない。とはいえ、シケルガイタとの結婚は、ロベルトが南イタリアの旧勢力、つまり民族や宗教がごちゃまぜの人々と折り合いをつける一つのきっかけにはなったのだろうと思う。
ロベルトの軍団は、ノルマン人だけではやって行けなかったため、ランゴバルド人だけじゃなく、シチリア島を支配していたイスラム教徒までもを味方につけて闘っていた。ギリシャ系の人たちも大勢いたと思う。
ロベルトの後継者となるシチリア王国の王たちは、この民族宗教ごちゃ混ぜ状態の地中的伝統を引き継いで行き、それが後々、フェデリコ2世による交渉によるエルサレム奪回という結果につながるわけである。

したがってシケルガイタは、変な名前なのではなく、立派な名前なのです。
本家のシケルガイタ様は、モンテ・カッシーノ修道院に埋葬されたらしい。モンテ・カッシーノは、ちょうど教皇領とロベルトの支配地(後のシチリア王国、ナポリ王国)との中間地点にある。当時この修道院は、教皇とロベルトとの間の争いを仲裁する役目を果たすまさに”架け橋”となっていた。シケルガイタがここに埋葬されたのは、そんな縁からだろう。

というわけで、本日、シケルガイタ様眠るモンテ・カッシーノ修道院を詣でて参りました。

モンテカッシーノの実力2006年08月26日 18:45

モンテ・カッシーノ修道院は、文字通りモンテ(=山)の頂上にあった。
しかも半端な山ではなかった。敵の侵入に対して、こうまでして構えなければならなかったとは!
麓のカッシーノの街にホテルをとり、車で頂上まで行って来たわけだけれど、昔、電車+徒歩による計画を実行に移さなくてよかったと、つくづく思う。登り坂を延々と、最低でも1時間はかかるし、車の往来も激しくて危険。
自転車で来てる人もいたけど、それは”選手”みたいな人だけだった。徒歩なんて絶対にムリだわ。

さて、修道院の建物は、第二次世界大戦で徹底的な破壊を受け、再建されたばかりのため、新しくてピカピカしている。そのため、なんだかオーストリアっぽい。
それでも、さすがは古くからやってる修道院だけあって、博物館に展示されているお宝は超一級品の数々だった。まあ聖具関係のお宝と宗教絵画が多いものの、中にはこんなお宝も。左がフェデリコ様の指輪。右は母君のもの(? 要確認)。

それに、なんと外にはシケルガイタ様の旦那様の彫像もあった。
旦那様のお姿を彫ったものって、初めてみた。実物とはかなり違うんだろうけど、なかなか滅多にみられません。事前には、こんなものがあるとは全く知らなかったので、結構うれしい出会いだった。