モラーノ・カラブロ2006年08月27日 08:29

モラーノ・カラブロの街を次の宿泊地に選んだのは、とくにこれを観たいというものがあったわけではなく、旅程の都合からである。

カラブリアの入口あたりだし、山奥だし、適当なホテルがあるし、行ったことのある人もなさそうだし・・・、なんて思っていたら、先客がいた。 このブログにコメントを書いてくださっている駄菓子さんのブログをあらためて読んでみたら、モラーノに訪問されたときの記事が載っていた。なるほど、目の付け所が違いますわ。

山奥にあって、街全体が一つの山の斜面にあるため、どこへ行っても眺めがいい。写真はホテルの部屋からの眺め。

ミレート2006年08月27日 22:30

ここは、カラブリアに来たら是非とも行ってみたいと思っていた。
ミレートは、シチリア伯ルッジェーロ1世の本拠地だったところ。
兄のロベルト・ギスカルドから、ルッジェーロが初めてもらった領地がミレートだった。その後、ルッジェーロはカラブリアからビザンチン勢力を追い払い、シチリア島をイスラム側から奪い、勢力を拡大していった。
写真は、今日たまたまやっていたお祭りのもの。地元の人に「アレ誰ですか?」と聞いてみたら、「よく知らないけど、ノルマン人とサラセン人。」とのこと。
どうも両者の戦いを表しているらしいが、この顔であるから、ふざけて戯れているようにしか見えない。当時の教皇はルッジェーロのシチリア征服を"聖戦"と位置づけていたけれど、やってた本人はあまり"聖戦"とは思っていなかった。ある意味いい加減な征服だったわけで(イスラム勢力を温存)、そんな雰囲気がこの出し物に現れている気がした。

どうも、ロベルトが死んで偉くおなりになってからも、ルッジェーロは若い頃に兄からもらったこのミレートを本拠地としていたようだ。彼の棺は今ナポリの博物館にあるけれど、実際に掘り出されたのはミレートだった。
それだけ由緒ある街にもかかわらず、知名度はかなり低い。

私は当初、ミレートという街はあまりにも重要度が低く(産物がなく税と取り立てられない)、それだからこそロベルトがライバルである弟に与えたのだと思っていた。だから、徹底的に何もなく(畑すらなく)、全く観光資源がないのだと思っていた。
ところが、街の博物館をみてみたところ、ビザンチンからノルマンにかけての立派な出土品が展示されていた。南イタリア独特の荒涼たる風景を思い浮かべていたのだが、なんだかオリーブ畑なんかがあって、それなりの"あがり"が期待できる土地であった。
徹底的に何も残っていないのは、18世紀頃の大地震で昔の街が崩壊し、放棄されたせいらしい。昔の街の方は、博物館の人の話では閉鎖中とのことで、フェンスの外から少しだけ見ただけで終わってしまった。これは残念。

その博物館の人たちは、珍しい訪問者にうれしそうだった。
2005年につくられた立派なパンフレットもくれた。なぜかパンフレットの表紙には"Da RuggeroⅠ d'Altavilla a FedericoⅡ di Svevia"の文字が。たぶんフェデリコはこの街にあまり関与してないと思うけれど、知名度の高いフェデリコを持ち出して、村興しをしようという意欲が窺える。

がんばれ、村興し@ミレート!