またシケルガイタのことで2006年08月25日 18:48

Monte Cassino

わが家の猫の名前「シケルガイタ」は、中世南イタリアの支配者だったロベルト・ギスカルドの妻からとったもの。
猫に変わった名前を付けようと考えたとき、最初に浮かんだのがこの名前だった。それとその頃、本家シケルガイタ様を”民族の架け橋”とみる考え方があることを知り、それがまた気に入った。

”民族の架け橋”というのは、ロベルトがノルマン人で、シケルガイタがランゴバルド人のサレルノ候の娘だったからだ。
まあ当時はまだ”民族”の違いをどうこう言う時代ではなかったから、現代的な意味で”民族の架け橋”と考えるわけにはいかない。とはいえ、シケルガイタとの結婚は、ロベルトが南イタリアの旧勢力、つまり民族や宗教がごちゃまぜの人々と折り合いをつける一つのきっかけにはなったのだろうと思う。
ロベルトの軍団は、ノルマン人だけではやって行けなかったため、ランゴバルド人だけじゃなく、シチリア島を支配していたイスラム教徒までもを味方につけて闘っていた。ギリシャ系の人たちも大勢いたと思う。
ロベルトの後継者となるシチリア王国の王たちは、この民族宗教ごちゃ混ぜ状態の地中的伝統を引き継いで行き、それが後々、フェデリコ2世による交渉によるエルサレム奪回という結果につながるわけである。

したがってシケルガイタは、変な名前なのではなく、立派な名前なのです。
本家のシケルガイタ様は、モンテ・カッシーノ修道院に埋葬されたらしい。モンテ・カッシーノは、ちょうど教皇領とロベルトの支配地(後のシチリア王国、ナポリ王国)との中間地点にある。当時この修道院は、教皇とロベルトとの間の争いを仲裁する役目を果たすまさに”架け橋”となっていた。シケルガイタがここに埋葬されたのは、そんな縁からだろう。

というわけで、本日、シケルガイタ様眠るモンテ・カッシーノ修道院を詣でて参りました。